奥大道を北へ巡る旅の終わりに、もういちど平泉中尊寺に立ち返ってみよう。中尊寺大長寿院には、公開されてはいない7つの古面がある。そのなかには、舞楽に使われたかもしれない面が含まれていた。
能面に較べれば平板ではなく、いくぶん奥行きがあり面に高さがあるので、舞楽の面かとも思うのだが、はたしてこのような面を用いる演目があったかなかったか。中尊寺としても、調査を依頼しているところだそうだ。櫛引八幡宮や岩木山神社の舞楽面と較べてほしいのだが、「採桑老」(さいそうろう)に似ていなくもない。
この面は、大星神社や天台寺に遺る「二の舞」の「咲面」(えみめん)、すなわち老爺の面に表情が似ている。ただし、櫛引八幡宮のものとは表情がかなり異なっている。こうしてみると、おなじ奥大道の中世の「咲面」でも、表情の似ているもの、異なるものがあって、どのように伝わっていったかを考えるヒントにもなりそうだ。
櫛引八幡宮や天台寺の「還城楽」(げんじょうらく)と較べてみよう。鼻が横に大きく、眼は見開き、眉毛が吊り上っている。口は大きく、横に広がっている。こういう点が、共通しているのではないか。そういう点を考えれば、「還城楽」に見えなくもない。
この面が何かということは、いまのところわたしには特定できないが、奥行きのある面の構造からして舞楽面であることだけは確かであろう。髪を植え込んでいたらしきあとがある。「胡飲酒」(こんじゅ)だとも思える。
これで、平泉から北へ、奥大道の周辺に伝わる中世の舞楽面を、ほとんど観て来たことになる。どんな面が残っているかということに共通点があるばかりではなく、その面の姿にも東北らしい特徴があった。平泉という都市と奥大道が、奥州藤原氏の時代が終わったのちも、こういった芸能が伝わる交差点になっていたということが言えるのではないか。




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