ライター斎藤博之の仕事

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斎藤博之は、祭りや民俗芸能・食文化・温泉文化・地域の社会史・地域づくりについて執筆しています。
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青森県の円空仏(1) 仏を刻む聖

 江戸時代の初め、円空と云う僧がいた。寛永9(1632)年美濃国(岐阜県)に生まれ、元禄8(1695)年7月15日、長良川の河畔で入寂した。僧といってもいずれの寺にも属さず、衆生を困窮から救うため12万体の仏を刻まんと発願し、遊行の旅に出る。

 円空の彫った仏像は、一木を鉈で削った素朴なものだ。柔らかな笑みをたたえ、その土地その土地で庶民に深く愛されてきた。自然の木のあるがままの姿に仏を見出す。その独特な作風で、円空仏と呼ばれている。

 この円空が青森に来たのは、寛文6(1666)年から翌る7年にかけて。寛文5年(1665)、32歳のとき何を思ってか北を目指して旅立った。津軽から北海道の渡島半島に渡り、再び戻っている。

 北海道渡島半島から下北・津軽や秋田にかけて現存する円空仏は、円空の故郷である岐阜を中心とする中部地方や、茨城・群馬・栃木・埼玉など北関東に次いで多い。渡島半島に渡った前後で、その技法に大きな変化があった。

 円空は聖である。円空のように遊行する僧を「聖」(ひじり)と呼ぶ。泉鏡花が『高野聖』(こうやひじり)に描いたのも、この聖である。聖は庶民にわかりやすく神仏の信仰を広め、敬われもしたが、その身分は低かった。

 徳川幕府は、キリシタンを禁止して以来、寺院諸法度をつくって宗教をその統制の下(もと)に置いた。寺院に属さない聖は、それでなくても聖と賎を併せ持つのに、この制度では最下層の宗教者で、愈々蔑視されたであろう。津軽に来た円空も、藩に疎んじられて、弘前から追い出されている。

 それでも、円空を受け入れる人びとは大勢いて、旅を続けることが出来た。東北には客人(まれびと)を神とみなす習俗が強かったから、まして仏を語り、その像を彫る者をありがたがらぬわけがなかった。一宿一飯に預かって、また旅に出る。

 みちのくの農村は、大いにこういう聖を受け入れてきた。円空の百年後には菅江真澄がこの地に来たが、やはり寝食を案ずることなく旅を続けている。

 いずれにしても、円空は津軽や下北を歩き、人びとに受け入れられて、仏像を彫った。その仏像もまた、人びとに受け入れられて、こんにちに受け伝えられている。その数、青森県の文化財に指定されているものだけでも、十を超える。

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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 00:17 | trackbacks(0) | comments(1) |
青森県の円空仏(2)遊行する山伏

 寛文6(1666)年、円空は津軽に来た。このとき33歳、仏像を刻み始めて僅かに数年。はじめて遠国を巡る旅に、なぜ北を目指したのかは詳らかでない。

 もともと円空は美濃と近江に跨る伊吹山の修験であった。ようするに山伏である。伊吹山では薬師念仏が行われていたことから、ここで修行する山伏は本草の知識をも得ていたのではないかと考える人もいる。円空は蝦夷ヶ島に渡って彫った仏像の一つに、「江州伊吹山平等岩僧」と刻んだ。自分は近江の伊吹山にある平等岩で修行した僧である、と名乗っているわけだ。

 しかし、このように権威付けて見たところで、遊行行脚する聖の立場は弱い。幕府は寛文5(1665)年の「諸宗寺院法度」「諸社禰宜神主法度」で、僧侶・山伏・願人・行人が町屋で祈祷することを禁じている。すでに、これ以前の慶長18(1613)年には「修験道法度」が修験を組織化し、定住を進めていた。里山伏と言う。山伏が諸国を廻って祈祷に歩く時代ではなくなっていたのである。

 聖である円空は、ただちに弘前から追い出されることになる。『弘前藩庁日記』(国日記)の寛文6年正月29日(1666年3月4日)の条に、「円空ト申旅僧壱人長町ニ罷有候処ニ、御国ニ指置申間敷由被仰出候ニ付而其段申渡候所、今廿六日ニ罷出、青森へ罷越、松前へ参由」とある。国に差し置きまじき理由とは、遊行する僧だということによる。

 のちに円空が法相宗法隆寺や天台宗園城寺から血脈相承(けちみゃくそうじょう)を受けるのは、寺に属さなければ発願を成就するのは難しかったということであろう。

 この時代の弘前領は、新田の開発を始め、岩木川の改修に手をつけた時期に当る。谷地と呼ばれる湿地が水田に変えられていった。ほんらいは葦や菅の生い茂る場所である。表高をはるかに超える石高が得られつつあった。米の生産に傾いていくことには、相当の無理があった。

 新田を切り拓こうとする藩にとって、庶民の救済を祈願する遊行僧は、なんとも目障りな存在であったのではなかろうか。

 それにしても円空の旅は、北を目指したところといい、庶民に眼差しを向けていたところといい、祈りや本草のわざを伴っていたところといい、百年後に菅江真澄が歩くことになる道に先駆けていたことは、驚かされずにはおられまい。

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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 18:12 | trackbacks(0) | comments(1) |
青森県の円空仏(3)辺境へ/辺境から

蝦夷地の旅


 円空は津軽海峡を蝦夷地に渡る。弘前藩に追われて多少足取りを速めたかもしれないが、始めから蝦夷地を目指していたのではないかと思われる節もある。いずれにせよ、およそ一年のあいだ、渡島半島から有珠山にかけてのあたりを旅することになる。

 円空が海を渡る船に乗ったのは、おそらくは三厩。この湊を見下ろす義経寺に伝わる円空仏の話は、このウェブログの「義経伝説は、なぜ北を目指したか(4)三厩の義経寺と円空仏」に書いたから、ここでは繰り返さない。ただ、このあと渡島半島を日本海伝いに北上するとき、円空はこのように湊の入り江を見下ろす小高い丘に登り、山上の祠に刻んだ仏を残す。

 蝦夷が島で円空が目指した目的地のひとつは、太田権現である。本殿は、奥尻島を望む小高い山の中腹にある洞窟だ。高々五百メートルに満たない山ではあるものの、参道の勾配は激しく、ところどころに鎖場がある。生半可な気持ちでは、辿り着くことは出来ない。

 太田の山は、この海を行き来する船の目印となった山のひとつである。もともとアイヌの人びとの信仰の対象であった山を、のちに和人も敬い崇めるようになり、やがて修験の霊場になった。伊吹山で修行した円空も、太田権現のことは聞き及んでいたではあろう。

 アイヌの信仰と祝言の霊場が絡み合った太田権現は、円空にも聞きしに勝る印象を与えたに違いない。それは、おそらく衝撃に近いものがあっただろう。この洞窟で、円空は幾体もの仏を刻んだらしい。百年後にこの太田に来た菅江真澄が、そのことを書きとめている。残念ながら、太田権現の円空仏は、いまはない。大正時代に焼けてしまったらしい。

 円空が蝦夷地で目指したもうひとつの霊場が、有珠山だった。有珠山は円空がこの地を訪れる数年まえに大噴火があった。

 菅江真澄の記述に従えば、虻田礼文華の磯部に「ケボロオヰ」という洞窟があり、円空はここでも五体の仏を彫る。そのうちの1体が洞爺湖中の島観音堂に遷されてあった。さらに北海道文化財の指定を受けた際、有珠善光寺に移される。前にも紹介したが、この仏像の裏に「うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日 始山登 圓空(花押)」とある。

 けっきょく円空は、この北海道で40近くの仏像を刻むことになる。一年あまりの旅を終え、本州へ戻る。おそらくその第一歩は下北半島であった。その足取りは、菅江真澄が辿った道に似ている。真澄が円空を慕って、そういう道を選んだのかもしれない。


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 18:05 | trackbacks(0) | comments(0) |
青森県の円空仏(4の1)松前街道〜油川浄満寺

 円空仏は本堂の内陣の左脇に祀られている。黒光りしているのは、つい最近まで自由に触れることが出来たからで、津軽半島の円空仏に共通する特徴である。津軽では、躰に患っているところがあれば、仏像に触ると治ると、広く信じられてきた。
 津軽地方の円空仏は観音菩薩坐像が多いが、浄満寺の円空仏は釈迦如来坐像だ。鉈で大胆に削っていることや、仏が微笑んで見えることなど、円空らしい特徴が現れている。

浄満寺の円空仏

 円空仏の拝観には事前申し込みが必要
(浄土宗金台山紫雲院浄満寺 017-788-1844)

 円空仏のある浄満寺には、油川の歴史を辿る文化財も多い。

かのどやま(観音堂山)

●森山弥七郎供養碑
 浄満寺境内を「かのどやま」(観音堂山)と呼ぶ。ここに、青森湊を開いた奉行・森山弥七郎を顕彰するため、寛文6年(1666年)に寺野内に建立された碑がある。昭和23年にこの「かのどやま」に遷されるまで野木和公園にあり、もともと昭和10年(1935)までは飛行場が建設された場所に立っていた。

森山弥七郎顕彰碑

 油川に伝わる伝承では、弥七郎は油川湊を存続するよう尽力した。三代目弥七郎が油川湊目付を務めていたことから、このような伝説が生まれたのかもしれない。油川湊は米や酒を松前に船積みし、大坂や越前から木綿・砂糖・紙などの荷が降ろされた。

「元祖森山弥七郎」

●伝奥瀬氏五輪塔

伝奥瀬氏墓

 浄満寺本堂の裏手に小高い茂みがあり、ここに天明飢饉の供養塔と並んで、いくつかの五輪塔がある。寺に伝わるところでは、この五輪塔は油川城主であった奥瀬氏の墓であるという。
 油川城は浪岡御所の北畠氏の支配下にあっただろうと考えられている。北畠氏が油川湊によって交易を行なっていたからだ。ところが、この油川城は、油川大浜の町からいささか離れた場所にある。最近の研究では、この城は北方の民族との交易で儀礼に用いられたのではないか、と考えられるようになってきた。天正13年または18年(1585または1590年)、大浦右京亮(津軽為信)が攻めてきたとき、城主である奥瀬善九郎は南部氏の領地に逃れたという。


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 03:09 | trackbacks(0) | comments(0) |
青森県の円空仏(4の2)松前街道〜蓬田正法院

正法院の円空仏(観音菩薩坐像)

正法院の円空仏

 松前街道を北へ。陸奥湾の浜辺に沿った街道を行く。日本海が列島の交通の表玄関だった時代、陸奥湾の湊は外側にあったことから、「外ヶ浜」と呼んでいた。その外ヶ浜伝いの街道に、老松の迫り出した寺がある。正法院。蓬田の円空仏は、この寺にある。

蓬田正法院

 蓬田の正法院にある円空仏は、かつては本堂の誰でも手を触れることが出来る場所にあったが、いまは内陣の裏手にしまわれていて、拝観を申し込めば出してくれる。観音菩薩であることを顕す頭の上の化仏はないが、蓮台を両手で捧げていることから観音菩薩と考えられている。瞳と白毫に円空自身の手で墨を入れたものと思われる。津軽地方の円空仏のなかでも、とりわけ穏やかな笑みを湛えている。
円空仏の拝観には事前申し込みが必要
(曹洞宗龍澤山正法院 0174-27-2012)


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 14:21 | trackbacks(0) | comments(0) |
青森県の円空仏(4の3)松前街道〜平舘福昌寺

福昌寺の円空仏(観音菩薩坐像)

平舘福昌寺の円空仏

 外ヶ浜伝いの街道を、さらに北へ。平舘の集落の旧街道は、ところどころに昔ながらのたたずまいの家々を遺す。ひときわ大きな黒松があるので、目をやれば、この奥に神社と寺があった。

平舘神社

 白い明神鳥居のこの社は、平舘神社と言う。もともと、円空仏は平舘神社にあったらしい。明治以前は神仏混淆だったから、ここに仏像があっても可笑しくはない。

福昌寺

 社の隣に結ばれた庵が、福昌寺だ。神社よりも新しく、浄土宗の修行僧の庵だった。この寺に円空仏が遷って来たのは、明治の廃仏棄釈と関係あるかもしれない。
 この円空仏の背面に何か書かれた痕跡がある。手垢にまみれて黒光りする箇所があり、広く地元の人びとに親しまれてきたことがわかる。
円空仏の拝観には事前申し込みが必要
(浄土宗浪打山福昌寺 0174-25-2346)

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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 11:45 | trackbacks(0) | comments(2) |
青森県の円空仏(4の4)松前街道〜三厩義経寺

 三厩にある円空仏については、すでに「義経伝説は、なぜ北を目指したか(4)三厩の義経寺と円空仏」に書いた。ここには、その概略だけを示しておこう。

義経寺から三厩湊を望む

 津軽半島の最も北に開かれた湊・三厩は、松前へ向かう北前船が風を待つ浦だった。松前街道を挟んで厩石と向き合う丘に、観音を祀る寺がある。その名も義経寺。「よしつねでら」ではなく「ぎけいじ」と読む。
 龍馬山義経寺は津軽三十三観音の十九番札所で、神仏分離の以前は「観音堂」と言った。その当時は真言宗に属していたが、いまは浄土宗の寺となっている。海峡を往き交う人びとがこの観音に海の安全を祈願してきた。現在も観音堂に数多くの船絵馬が残っている。
 この寺に『奥州津軽合甫外浜三厩 龍馬山観世音縁起』という版木が遺っている。北へ逃げてきた義経が波の静まるよう祈願した場所だといい、のちに円空がこの故事に倣って仏像を彫ったと記されている。世話人は「安保喜平治 大五郎 舎吉」で、この安保家は三厩の廻船問屋だった。この版木は幕末に彫られたものではあるが、ほぼ同じ内容を菅江真澄も書いているから、義経の伝説は少なくとも菅江真澄が三厩を訪れた天明8(1788)年7月にはすでにあった。
 境内には、地元の船主や越前・松前などの商人(あきんど)が寄進した石灯籠や石碑が多数見られる。弁天堂の前の石灯籠は「文化11年」(1814年)に「大黒丸・神観丸 吉田太郎兵衛」が寄進した。三十三観音も「江戸 福寿丸 上田屋忠兵衛」や「大坂 山廿 栄久丸」のほか越前・松前などの商人(あきんど)が奉納したものだ。観音堂には、円空仏の御簾のまえに蝦夷錦がある。天保8(1837)年、松前の伊達氏が納めた。蝦夷錦とは、アムール川流域との山丹交易で北方諸民族にもたらされた絹織物で、松前を通じて北前船が各地に伝えた貴重品である。
 いまは円空仏は秘仏となっているが、住職のお話では津軽半島のほかの円空仏と同じように手垢にまみれて黒くなっていることから、以前は自由に触れることが出来たと思われる。さらに興味深いことを住職に聴いた。この円空仏の胎内仏はマリア観音であっただろう、と言うのである。そのマリア観音が、いまは下北半島の川内にある。以前の住職が川内のお寺の出身だったから、そこに遷されたのだ。義経寺の境内には隠れキリシタンの墓もあって、住職の語ることも、なるほどと頷けるのであった。

曹洞宗龍馬山義経寺

義経寺の円空仏(木彫観世音菩薩像)
 義経寺の円空仏は秘仏であるため、円空仏は33年にいちどの開帳のとき以外は拝観できない。前回の開帳が2000年だったから、次回は2033年ということになる。わたしも拝んだことがないので、青森県文化財保護課に拠れば、両肩に掛かった衣が両肘の辺りでへこみを作り出している点など、海峡をはさんだ北海道福島町の吉野教会にある観音菩薩坐像と共通する特徴があるらしい。像の背面に「寛文7年夏」の銘文が書かれているものの、円空が書いたものかどうかも、年代が確かなものかどうかも、判断は難しいと言う。


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 01:00 | trackbacks(0) | comments(0) |
青森県の円空仏(5)羽州街道〜梵珠山元光寺
元光寺の円空仏

●元光寺の円空仏(観音菩薩坐像)
 この円空仏は、もともと梵珠山山頂の釈迦堂に安置されていた。この観音像には髻(たぶさ)がない。頭部に改修のあとがあり、面に欠損した部分もある。が、鉈で削られた台座や、細い線で描かれた顔、人びとに触られて黒光りしていることなど、寛文7年(1667)ごろに津軽や下北で作られた円空仏に共通する特徴をもっている。
円空仏の拝観には事前申し込みが必要
(曹洞宗梵珠山元光寺 0172-62-3382)

現在の元光寺

 近年、元光寺は新しい場所に建て直されたが、かつて梵珠山の釈迦堂にあったと云う円空仏は、新しい御堂に遷されていた。普段は奥にしまわれていて見ることはできない。予め連絡を入れて、特別に拝ませていただいた。


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 23:17 | trackbacks(0) | comments(0) |
青森県の円空仏(6の1)乳井街道〜浪岡西光院

西光院山門

 浪岡から黒石へ向かう乳井街道をわずかにそれたところに、浄土宗行岳山西光院という寺がある。

西光院本堂

 決して立派だとはいえない庵だが、門構えにも、境内の古木にも、歴史が感じられる。

西光院の円空仏

●西光院の円空仏(観音菩薩坐像)
 もともと西光院の有力な檀家の仏壇に納められていた。そのためか、当初はあったはずの台座が削り落とされ、表面に塗りも施されている。津軽半島の円空仏と同じような作風で、やさしく笑みをたたえている。
円空仏の拝観には事前申し込みが必要
(浄土宗行岳山西光院 0172-62-2376)


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| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 01:47 | trackbacks(0) | comments(2) |


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