ライター斎藤博之の仕事

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森とともに暮らす(1)旧福地村の焼畑

 すでにこのウェブログでも報告したように、八戸市南郷の「山の楽校」が、この地域では半世紀ばかり途絶えていた焼畑を復活させた。わたしもプランナーとして参加しているこのプロジェクトは、地域の伝統を掘り起こすことによって、農山村の抱える担い手不足の問題と、地球環境の保全のの問題を同時に解決し、地域の再活性化を図ろうという、一石二鳥も三鳥もねらった試みである。

 この事業に取り組みながら、わたしはあらためて、この地域にとって焼畑とはなんだったのか、を考えさせられた。それは、ひとはどのように森(自然)とかかわってきたのか、という文明史上の問題でもあった。


 数年まえ、旧福地村(現在の南部町)で、焼畑についての調査を行なったことがある。人びとの記憶に遺る程度の、ごく最近まで、この地域では山を拓いて畑にし、数年ののちに森に返すという、循環型の暮らしを営んできた。

 集落が共同で用いる山を「入会」(いりあい)と言う。むらびとはこの入会の山で薪や乳穂(にお)に使う樹を伐り、炭を焼き、茸や木の実を採った。下草は刈って堆肥にし、野には屋根を葺く茅を植えた。屋根を普請する人があれば、9月から10月にかけて、集落総出で茅を刈る。刈るところから屋根を葺くまで集落の協働作業だった。

 戦後になると、木材の建築資材としての需要が高まり、入会も造林に取り組み、伐採による収入を配当するようになる。15年ほどの赤松は、白銀(八戸市)の浜で鰯の煮干の薪になった。畑は4〜5年周期で全員が公平になるよう割り替えるが、残った畑を年数売りして耕作させる。草刈り場も、期限を設けて、貸し出した。萱野地でも屋根を葺く人のない年は茅を売り、農家はこれを買って炭スゴや薦(こも)を編んで手間賃を稼ぐ。

 「山持ち」の山は、5戸ばかりの農家が組んで借り受け、畑を作った。年数が来れば、地主が用意した木の苗を植えて返す。ここに茅を植え、植えた樹の大きくなるまで茅を刈るということも行なわれていた。

 山を畑にするときの伐採は春に行なうので、「春木伐り」と言う。伐り払った跡は、畑にする。焼畑にすることもある。火入れをしなければ3年、焼き払えば4〜5年、耕作する。焼畑には3年もすれば茸が生えると言う。「火入れ」のときは、他に延焼してはいけないので、風のない日を撰び、防火帯を作って、見張りを置く。

 このあとは「あらきおこし」(荒墾起こし)と「畝立て」だ。女性がタチで木の根を切り、男性が鋤で普通の2倍もある大きな畝を作る。こうして、ところどころに種松を残して、畑にする。

 畑には、麦・稗・粟・蕎麦・大豆など雑穀や豆類が多く作付けられてきた。ことに、稗−麦−大豆の二年三毛作は、南部地方に特有の輪作だ。八十八夜を過ぎたころ稗を播き、秋に刈り穫れば麦を播く。翌る年は、やはり八十八夜を過ぎれば麦のあいだに大豆を播き、7月には麦を刈って、豆の葉が落ちてから雪の降るころ大豆を引き抜く。

 こうして、耕作期間を終えれば放置して、松が自然に生えるのを待つ。種として残しておいた松を中心に、次第に松林に戻っていく。その松を間伐しながら、雑木林が出来る。森は人の手が入ることで、維持されてきた。人は森を利用し、森とともに生きる。南部地方の焼畑について、いましばらく見ていくことにしよう。


*この文章は、『毎日新聞』青森県版の連載「斎藤博之の発見あおもり」に掲載したものです。

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 わたしが初めて南部地方の焼畑について調べたのは、『福地村閉村記念誌』を書いたときであった。その「第3章 伝統」の「第2節 畑作と林野」に、少しばかり焼畑のことにも触れたので、参考までに載せておく。


『福地村閉村記念誌』


 台地の上に広がる畑と森。わたしたちは森を手入れし、森の恵みを受けて暮らしてきた。畑は森と深いかかわりを持ってきた。森の下草を肥やしとする。伐り払った跡は畑にし、輪作をして森に戻す。福地村の畑は八戸の下肥えも集めた。森と里と街と。その循環のなかに、わたしたちのふるさとはあった。


森・里・街を巡る循環型農業


 どの集落にも共有の林野がある。これを「入会」(いりあい)と言う。むらびとはここで薪や乳穂(にお)に使う樹を伐り、炭を焼き、茸や木の実を採った。下草は刈って堆肥にし、原野には屋根を葺く茅を植えた。屋根を普請する人があれば、9月から10月にかけて、集落が総出で茅を刈る。刈るところから屋根を葺くまで集落の協働作業だった。

 入会は藩の有するものだが、むらびとが一定のルールに従って自由に利用できた。ところが、明治維新で官有地となってしまう。地租改正で官有の林野が払い下げられることになったとき、村落共同体の慣行を維持するため、記名共有や代表者名義に移し、「法師岡合資会」のような財産区を作る。

 戦後になると、木材の建築資材としての需要が高まり、入会も造林に取り組み、伐採による収入を配当するようになる。15年ほどの赤松は、白銀(八戸市)の浜で鰯の煮干の薪になる。畑は4〜5年周期で全員が公平になるよう割り替えるが、残った畑を年数売りして耕作させる。草刈り場も、期限を設けて、貸し出した。萱野地でも屋根を葺く人のない年は茅を売り、農家はこれを買って炭スゴや薦(こも)を編んで手間賃を稼ぐ。

 「山持ち」の山林の場合は、5戸ばかりの農家が組んで借り受け、畑を作る。年数が来れば、地主が用意した苗を植えて返す。ここに茅を植え、植えた樹の大きくなるまで茅を刈るということも行なわれていた。

 福地村の畑では、南部地方のほかの地域と同じように、麦・稗・粟・蕎麦・大豆など雑穀や豆類が多く作付けられてきた。ことに、稗−麦−大豆の二年三毛作は、南部地方に特有の輪作だ。八十八夜を過ぎたころ稗を播き、秋に刈り穫れば麦を播く。翌る年は、やはり八十八夜を過ぎれば麦のあいだに大豆を播き、7月には麦を刈って、豆の葉が落ちてから雪の降るころ大豆を引き抜く。

 このほか、苫米地の大蒜(にんにく)は有名で、三本木(現在の十和田市)や五戸・田子・軽米などの市へ行商に行く女性たちがいた。大蒜の跡には高菜を作れば良く出来ると言い、これは漬物にする。福田の名産は食用菊の阿房宮で、旧暦9月の末に摘んで干し菊にした。林檎の栽培も盛んで、福地村では福田の田中兵治が明治15年(1882)ころ始めたらしい。換金作物として葉煙草も盛んで、陸稲が多いことも福地村の特徴だろう。

 かつては畑の肥料に人糞が使われていたが、椛木や杉沢では馬車を仕立て、一日かけて八戸市内を廻り汲み取っていた。都市と農村のあいだで行なわれていたリサイクルと言える。


伐採は春に行なうので、「春木伐り」と言う。伐り払った跡は、畑にする。焼畑にすることもある。火入れをしなければ3年、焼き払えば4〜5年、耕作する。焼畑には3年もすれば茸が生えると言う。


火入れ

 他に延焼してはいけないので、風のない日を撰び、防火帯を作って、見張りを置く


あらきおこし


畝立て

 女性がタチで木の根を切り、男性が鋤で普通の2倍もある大きな畝を作る


伐採後の畑

 ところどころに種松を残して、畑にする。耕作期間を終えれば放置して、松が自然に生えるのを待つ

| 斎藤 博之 | [地域の社会史]焼畑 | 05:22 | trackbacks(0) | comments(1) |
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comments
水の循環こそ生命の源と言われるけれど、
森の人為的循環が人の生活の礎となっている。
元に戻ること、可逆的な人と自然の在り方が
何でもありの現代社会とは異なった
意義を与えるような気がしますね。
| 高橋靖司 | 2009/08/22 12:01 PM |










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