ライター斎藤博之の仕事

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義経伝説は、なぜ北を目指したか(4)三厩の義経寺と円空仏

義経と円空とマリア観音と


 三厩の湊近くに、厩石という岩がある。岩の海側が埋め立てられ、いまは国道が走っているが、少し前は浪打ち際にあった。浸食されて大きな穴があく奇岩だ。義経はここから馬に乗って津軽海峡を渡り北海道へ向かったという伝承があり、三厩という地名の謂れとなっている。油川から三厩へ至る松前街道はここが終点で、その先は船で渡る。津軽半島の最も北に開かれた湊・三厩は、松前へ向かう北前船が立ち寄った。

 松前街道を挟んで厩石と向き合う丘に、観音を祀る寺がある。その名も義経寺。「ぎけいじ」と読む。ここに義経の伝説を記した版木が残っている。『奥州津軽合甫外浜三厩 龍馬山観世音縁起』。もともと円空が書いたという古文書があったが、痛みが激しいので版木に彫ることにしたと云う。彫刻は「大坂 菊林堂」。世話人は「安保喜平治 大五郎 舎吉」で、この安保家は三厩の廻船問屋だった。安保家はいまは下北半島のむつ市にあり、義経寺のもっとも遠に住む檀家となっている。古文書から文字を写したのは「図書 清原延捷」。万延元(1860)年6月吉日と掘られているが、元の文書には寛政11(1799)年とあったらしい。円空が書いたと伝えられる古文書じたいは、いまは残っていない。

 その版木に語られた伝説には、こうある。「抑当龍馬山観世音の由来を欽んで稽に。昔文治の戦に源家一統して后、源延尉義経公兄之鎌倉殿より閲牆の事有りて、密に都を出て、奥州の探題秀衡に依頼し、其后又高館を逾(こ)え、此浦に来り」。

「見れば蝦夷の千嶼目前にあり、彼洲に渉り害を避んとす。時に風害く浪高くしてわたるべぎなし。於是延尉自ら古岩上に端座し、三日三夜一心に観世音に祈誓し、大悲の妙智力を仮て波涛をわたらん事を懇求せられけるに、歴脚不思議の故をもて満願の暁頃、白髪の老翁告て曰く。「汝至心に誠を投じ甚だ切なるか故に、今巌中に至る三疋の龍馬を与るなり。是に乗して渉るへしと云終て失なふ。延尉感涙も衣の袖を沽し、早天に巌頭を下り巌穴に向。その三つの駿馬、風に嘶ふ。海面も亦波を揚す。於是酬徳の為にとて、延尉常に親ら尊秘するところの正観世音を巌上に安置し、遂に主従三騎蝦夷の地へ押しわたるとなん。故に霊場を龍馬山と号し、土地を三厩と称する」

「其后遥か星霜を経て寛永の頃、越前州西川郡符中の産(れ)円空と云う僧、諸国遍歴の序、偶々此浦に来り。巌下を徘徊せしに、不思議哉、巌頭光を放てり。円空深く異之斎戒して、攀(よじ)登れば、御長一寸、白銀の正観音自在菩薩、光明赫奕たり。円空感仰の余り、終夜焚香跌座し、少し間眠けるに、直ちに霊夢を蒙り始て、其来歴を知り、往昔を追憶し、土地安全衆生利益の為として、自ら新たに大士の木造を刻し、尊像の中に納奉る。此時人家も稀なれば、土人五三人と琴力纔の草庵を結び、朝暮香火怠る事なかりし」。

 このときの住職・沙門如現、「古櫃中に開祖円空の遺伝を得て歓喜に堪へずといへども、惜(しむ)かな昏古りて、?(虫+覃)魚半を蠢(うごめか)し字句分明ならず。終に其伝を失わん事を憂て、数日考え纔に其顛末を解し謹而拝書」。


   風はやみ
   なみのまにまに行くふねを
   見そなひたまへ綿津海の神
            菅江真澄


 義経が津軽海峡を渡ったとすれば、文治5(1189)年のうちであったろう。磯に迫る断崖の上に立って、義経は北を見やったかもしれない。松前の山が見える。津軽海峡は、「しょっぱい川」だ。海だから水は塩辛いが、まるで川を渡るように、縄文の昔から人びとはここを行き来してきた。この巌の上で、義経は波の凪ぐことを祈ったであろう。

 円空もまた、津軽海峡を渡った。寛永9(1632)年美濃国(岐阜県)に生まれ、元禄8(1695)年7月15日、関市弥勒寺近くの長良川河畔で入寂。32歳のころから各地をを遊行し、仏像を刻む。困窮に喘ぐ衆生を救わんと、生涯で12万体刻むことを発願した。鉈で削った素朴な仏像でありながら、柔らかな笑みをたたえ、円空仏と呼ばれて尊ばれている。円空が三厩を訪れたのは、この観音像の背面に書かれた銘文を信ずれば寛文7(1667)年。前年からこの年にかけ、津軽・下北と渡島を歩き、仏を刻んだ。義経寺の円空仏は、北海道福島町の吉野教会の観音に瓜二つで、円空が渡島から再び津軽へ渡った直後の作と考えられている。円空が刻んだ義経寺の観音菩薩坐像は、青森県の重宝だ。

 天明8(1788)年7月、菅江真澄がこの海を渡る。真澄もまた円空と同じく一度は北を目指し、この三厩で観音の謂れを聴くことになる。その観音に真澄は手を合わせたに違いない。義経が渡り、円空も向かった北を目指す。願いが通じたのか、空は晴れ、海は凪いでいた。艮(丑寅=東北)から吹く山背を待って、船出する。三厩は、風待ちの湊だった。

 三厩から北海道は近い。すぐ目の前にもうひとつの陸を見れば、ロマンがこの海を渡らぬわけがない。


   真北なる
   うごかぬ星をしるべにて
   ふねのゆくゑもしらぬ遠方
              真澄


 三厩から先にも、兜岩・鎧島・帯島と、義経の伝説がある。帯島は、義経が帯を締めなおしたところというのが、地名の謂れらしい。ここで義経はアイヌの酋長から巻物をもらい、この巻物に記されていることをもとに北海道に渡ったという。義経寺の住職・藤田治樹さんから聞いた話だ。藤田さんは言う、「巻物は、海流の地図だったのでしょうか。土地の人は、どの季節どの海流に乗ればどこへ行く、ということをよく知っています。そういう情報を得て、海峡を船が行き来していたのです」。


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 龍馬山義経寺は津軽三十三観音の十九番札所で、神仏分離の以前は「観音堂」と言った。その当時は真言宗に属していたが、いまは浄土宗の寺となっている。三厩の湊ばかりでなく、遥か下北や北海道をも望む高台の上にあり、海峡を往き交う人びとがこの観音に海の安全を祈願してきた。現在も観音堂に数多くの船絵馬が残っている。いまは明治以降の絵馬よりないが、かつては江戸時代の絵馬が堂内を飾っていたらしい。

 山門を上がると、観音堂の右隣には、旧い弁天さまのお堂があった。弁天堂の前の石灯籠には「文化11年」(1814年)と刻まれている。寄進者は「大黒丸・神観丸 吉田太郎兵衛」。漁師たちの信仰を集めてきたのであろう。朽ちかけたように見えるこのお堂も、宝永4年の建立で、三百年のあいだ風雪に耐えてきた。

 観音堂の周りにも「寛政11年」(1799年)と旧い石塔がある。三十三観音も「江戸 福寿丸 上田屋忠兵衛」や「大坂 山廿 栄久丸」のほか越前・松前などの商人(あきんど)が寄進したものだ。

 観音堂には、円空仏の御簾のまえに蝦夷錦があった。「奉 為永寿院紹巌道隆居士」。天保8(1837)年、松前の伊達氏が納めたものだ。蝦夷錦とは、アムール川流域との山丹交易で北方諸民族にもたらされた絹織物で、松前を通じて北前船が各地に伝えた貴重品である。全国に残る蝦夷錦は六十に満たない。

 円空仏が安置されている場所には、この観音とともに、かつてはマリア観音もあり、江戸時代は秘仏だった。マリア観音は、いまは下北半島川内町の多善寺にある。キリシタンの禁令にともない、津軽には相当の数のキリシタンが逃げ込んできた。その一部は隠れキリシタンとなって住み着き、信仰を守ったであろう。本堂の前に隠れキリシタンの墓が3つ並んでいた。

 このうち、左右の二つは意図的に文字が削り取られている。真ん中の墓には「卍 覚誉本譁信士」とある。十字架の徴(しるし)を、卍のなかに隠したものという。その両脇の文字は、「平治■■」「己亥十二月八日」。はじめ私は読み間違えたかと思い、もう一度確認した。たしかに「平治」と書いてある。平治とは1159〜1160年のこと。ちなみに義経は保元3(1158年)生まれ。もちろん隠れキリシタンの時代を遥かに遡る。秀吉による天正禁令は、天正15(1587)年。家康が禁教令を発布するのが慶長19(1614)年。宗門改めが始まるのは寛永12(1635)年。迫害を逃れてこの地に移り住んだ人が己亥の年に亡くなったとすれば、万治2(1659)年と考えるのが自然である。「平治」とはキリシタンが身を隠すために刻んだ文字ではないか。

 円空は、もともと衆生を救うために仏を彫った。だれでも手に触れ、躰の悪いところをその手でさするなどして、これを拝む。秘仏となっている例は少ない。義経寺の観音像も、よく見れば手垢の跡がある。はじめは他の円空仏と同じように、この仏さまに触れて拝んだものであろう。「このお堂にマリア観音を隠すようになって、円空仏も秘仏だということにしたのではないでしょうか」と、住職の藤田治樹さんは言う。

 円空が寛文7(1667)年ごろにこの地を訪れたとすれば、キリシタンが移り住んできてしばらくのちのころ。庶民のために円空が彫った観音も、ごく当たり前に病を癒すために人々が手に触り崇めていただろう。ところが、そのうちにキリシタンの誰かが、マリア観音を隠しおくのに円空仏を秘仏にすることを思いついた。こうして、円空仏が義経渡海伝説と結びつく。義経が衣川では死ななかったという説が一般の民衆にも広まった18世紀前半のことであろう。

 御詠歌に詠う――みちのくの名所を爰(ここ)にみうまやの波打つ際(きわ)に駒をいさむる


| 斎藤 博之 | [地域の社会史]義経北行伝説 | 00:18 | trackbacks(0) | comments(0) |
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