ライター斎藤博之の仕事

このウェブログは、フリーランス・ルポライター斎藤博之が地域限定の新聞・雑誌または非売品の媒体などに執筆した文章を、広くお読みいただくために、公開することを目的にしています。
斎藤博之は、祭りや民俗芸能・食文化・温泉文化・地域の社会史・地域づくりについて執筆しています。
<< 青森県の円空仏(2)遊行する山伏 | main | 青森県の円空仏(4の1)松前街道〜油川浄満寺 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

sequel
| スポンサードリンク | - | | - | - |
青森県の円空仏(3)辺境へ/辺境から

蝦夷地の旅


 円空は津軽海峡を蝦夷地に渡る。弘前藩に追われて多少足取りを速めたかもしれないが、始めから蝦夷地を目指していたのではないかと思われる節もある。いずれにせよ、およそ一年のあいだ、渡島半島から有珠山にかけてのあたりを旅することになる。

 円空が海を渡る船に乗ったのは、おそらくは三厩。この湊を見下ろす義経寺に伝わる円空仏の話は、このウェブログの「義経伝説は、なぜ北を目指したか(4)三厩の義経寺と円空仏」に書いたから、ここでは繰り返さない。ただ、このあと渡島半島を日本海伝いに北上するとき、円空はこのように湊の入り江を見下ろす小高い丘に登り、山上の祠に刻んだ仏を残す。

 蝦夷が島で円空が目指した目的地のひとつは、太田権現である。本殿は、奥尻島を望む小高い山の中腹にある洞窟だ。高々五百メートルに満たない山ではあるものの、参道の勾配は激しく、ところどころに鎖場がある。生半可な気持ちでは、辿り着くことは出来ない。

 太田の山は、この海を行き来する船の目印となった山のひとつである。もともとアイヌの人びとの信仰の対象であった山を、のちに和人も敬い崇めるようになり、やがて修験の霊場になった。伊吹山で修行した円空も、太田権現のことは聞き及んでいたではあろう。

 アイヌの信仰と祝言の霊場が絡み合った太田権現は、円空にも聞きしに勝る印象を与えたに違いない。それは、おそらく衝撃に近いものがあっただろう。この洞窟で、円空は幾体もの仏を刻んだらしい。百年後にこの太田に来た菅江真澄が、そのことを書きとめている。残念ながら、太田権現の円空仏は、いまはない。大正時代に焼けてしまったらしい。

 円空が蝦夷地で目指したもうひとつの霊場が、有珠山だった。有珠山は円空がこの地を訪れる数年まえに大噴火があった。

 菅江真澄の記述に従えば、虻田礼文華の磯部に「ケボロオヰ」という洞窟があり、円空はここでも五体の仏を彫る。そのうちの1体が洞爺湖中の島観音堂に遷されてあった。さらに北海道文化財の指定を受けた際、有珠善光寺に移される。前にも紹介したが、この仏像の裏に「うすおく乃いん小嶋 江州伊吹山平等岩僧内 寛文六年丙午七月廿八日 始山登 圓空(花押)」とある。

 けっきょく円空は、この北海道で40近くの仏像を刻むことになる。一年あまりの旅を終え、本州へ戻る。おそらくその第一歩は下北半島であった。その足取りは、菅江真澄が辿った道に似ている。真澄が円空を慕って、そういう道を選んだのかもしれない。


sequel

北前船の湊


 蝦夷が島の霊場を巡って、円空は何かを感じ、受け取っていた。それはすぐには形に出来る類いのものではないが、少しずつ作風に変化が現れるようになる。一年余りに及ぶ北限の霊場めぐりは、始めから意図したものかどうかは別として、円空の旅の目的となった。

 ふるさとへの帰路、円空は下北半島の湊に上陸したであろう。津軽海峡は、西から東へ、対馬暖流が流れている。それだから、西廻りの北前船も、いちど下北半島の何れかの湊に立ち寄って、風待ちをするのを常とした。

 円空の百年後、おなじように北東北や北海道を旅した菅江真澄も、下北半島の奥戸(おこっぺ)という湊から本州へ足を踏み入れた。奥戸は、いまでは大間の南に位置する漁村だが、江戸時代は北前船の行き来する交通の要所だった。円空も、この奥戸か佐井に上がったと考えるのが、妥当であろう。

 下北半島には、4つの円空仏が残っている。
●長福寺 佐井村 木彫十一面観音立像
●恐山菩提寺 むつ市 木彫十一面観音立像
●恐山菩提寺 むつ市 木彫観音菩薩半跏思惟像
●常楽寺 むつ市 如来立像 青森県重宝

 佐井も、やはり北前船の出入りした湊で、西廻りで京大坂と交易があったばかりでなく、北方との貿易につながっていた。これを象徴するのが蝦夷錦で、佐井だけでも数点が残されている。

 長福寺にある円空仏は、もともとは清水寺にあった。清水寺は佐井の鎮守である箭根森八幡宮の別当寺で、明治の神仏分離のときになって廃仏を免れるため、長福寺に預けられたものらしい。もともとは、箭根森八幡宮の別当を務めてきた岩清水家が管理していた。

 円空は、おそらく、岩清水家に寄宿していたものと思われる。岩清水家は、遠路遥々とやって来た旅人を、厚くもてなしていた。のちに菅江真澄も、この岩清水家を訪れることになる。それでなくても、下北には客人(まれびと)をもてなす風習がある。その返礼に、円空も仏を刻んだのではないか。

 長福寺は田名部海辺三十三観音札所巡りの19番と20番の札所にあたっているが、20番札所が清水寺観音像、すなわち円空の彫った十一面観音立像である。その姿や表情は、恐山菩提寺の十一面観音に似ている。伝承によれば、佐井で円空は3体の仏像を彫ったと言い、そのひとつは恐山にあると言う。


霊場恐山の力をもらう


 下北半島に残る円空仏4躯のうち、半数にあたる2つが恐山にある。十一面観音立像も観音菩薩半跏思惟像も、いずれも地蔵堂の内陣の裏に、開基円仁を祀る祭壇の脇にある。

 佐井に伝わるところでは、円空は彼の湊街で3体の仏を彫り、そのひとつが恐山にあると言うが、恐山にふたつの円空の刻んだ仏があり、そのうえ旧い時代の千体仏を円空が補修したと言い伝えられているところを見れば、たしかに円空はこの恐山の地を踏んだであろう。

 菅江真澄も、寛政4年霜月朔日(1792年12月14日)、この霊場を訪れている。「そもそも此(こ)のみやまは慈覚円仁大師のひらき給ひて、本尊の地蔵ぼさち(菩薩)を作給ひ、一字一石のほくゑ(法華)経をかいて、つか(塚)にこ(込)め給ひしとて今に在り。はた恵心の仏も、なかごろの円空のつくりたるぶち(仏)ぼさち(菩薩)もある也」(『牧の冬枯れ』)。

 寛文7(1667)年に円空がこの地を訪れてから百二十五年後には、少なくともいまと同じように円空仏が地蔵堂に祀られていた。

 円空が複数の仏像を納めた場所は、北海道にもあった。太田権現と「ケボロオヰ」である。どちらも、円空がその場所を目指して旅したであろう、修験の道場である。仏を刻むことは、円空にとって、北の聖地で修行を積むことであった。

 恐山は円空の来る百年前から曹洞宗が管理しているが、それ以前の中世の時代までは天台修験の霊場だった。円空が、はじめからこの霊場をも旅の目的の地に撰んでいたとしても、不思議はない。

 下北ではもうひとつ田名部の神宮寺の釈迦如来を彫った。これが、いまは大湊の常楽寺にあり、円空仏のなかでも最も美しいと言われている。かくして円空は、津軽を経て秋田へ抜け、ふるさとへ帰る。

 仏像を刻み始める最初の行脚で、円空は北へ向かった。修験に携わる末端の「聖」(ひじり)である円空が目指したのは、最果ての地での行であった。北の民衆の信仰を集める聖なる山で、円空は新たな力を得たいと欲したであろう。

 津軽では藩に領地から追い出されたものの、蝦夷地と下北では目当ての霊場に上り、仏の姿を彫る。その修行を積むなかで感じたものは、ただちには顕れるべくもないが、自然によって生かされ、衆生によって生かされていることへの感謝が、やがて円空仏に独特の表情をもたらすのであった。


| 斎藤 博之 | [地域の社会史]円空 | 18:05 | trackbacks(0) | comments(0) |
スポンサーサイト
sequel
| スポンサードリンク | - | 18:05 | - | - |
trackback
http://hsaitoh.jugem.jp/trackback/156
comments










+ CONTENTS of THIS WEBLOG
+ PROFILE of SAITOH
+ OTHER WEBSITE written by SAITOH
+ SAITOH'S DIARY

(1)
斎藤博之のTwitter
斎藤博之のTwitter

    follow me on Twitter

    (2)
    ライター斎藤博之の取材日記
    ライター斎藤博之の取材日記
    (ライター斎藤博之が日々取材で出会った食べ物や祭り・風景を紹介する日記。
     Twitter開設以前に作っていたもので、現在は更新していません)

    + FORUM
    ライター斎藤博之のフォーラム (記事内容に関連した討論や、質問を受け付ける掲示板)
    + MESSAGE FORM
    + COPYRIGHTS
    著作権は、斎藤博之にあります。文章の引用は自由ですが、著作権法の定めるところに従ってください。ウェブ上で引用する際も、出典を明示したうえで、トラックバックするか、著者に連絡してください。当然のことながら、著作権を侵害していると認められるものについては、法的な対抗手段をとることがあります。
    + selected entries
    + recent trackback
    + recent comments
    • 恐山信仰とイタコについてのQ&A
      斎藤 博之 (03/27)
    • 恐山信仰とイタコについてのQ&A
      田中 修 (03/17)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      Botox (12/26)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      高橋靖司 (07/17)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      タコ (06/12)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      KAZU (06/01)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      斎藤 博之 (05/22)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      ana (05/22)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      斎藤 博之 (05/21)
    • 原発の事故による健康被害について〜美味しんぼ 福島の真実
      斎藤 博之 (05/21)
    + archives
    + LINKS

    雁屋哲の美味しんぼ日記
    (雁屋哲さんの公式ホームページです)

    美味しんぼ塾ストーリーブログ
    (『美味しんぼ』全巻のあらすじを検索)

    企画集団ぷりずむ
    (雑誌にラーメン特集などを執筆しました)

    グラフ青森
    (雑誌に民俗芸能・地酒などの連載をしました)

    まるごと青森
    (青森県の観光担当職員たちで作るブログです)

    恐山あれこれ日記
    (恐山菩提寺の院代・南さんの日記です)

    山の楽校「焼き畑日記」
    (八戸市南郷区で焼畑を復活しました)

    トキワ養鶏
    (耕畜連携の循環型農業に取り組んでいます)

    レストラン山崎
    (弘前のスローフードの仲間です)

    洋望荘
    (八戸の自然食・スローライフの宿です)

    仙台ラーメン金太郎
    (コンセプトと食材を担当しました)

    仙台屋
    (食材と地酒を集めました)

    深浦の食べ物屋セーリング
    (深浦の正直な食べ物屋さんです)

    青森県のラーメン・旅の宿と温泉
    (T.KENさんのホームページ)

    あおもりラーメン協会
    (あおもりラーメン協会の公式サイト)

    新井由己の仕事帖
    (地域のおでんやハンバーガーなどについて
     食文化として研究しておられます)

    わ的には 「北の国」のチョット南から
    (青森などを歴史も交えて探訪する
     ぴかりんさんのカナリ楽しいページです)

    大川平の荒馬
    (「大川平の荒馬」のホームページです)

    べんべのけやぐ
    (「大川平の荒馬」のメンバーです)

    じっくり・ゆっくり・2
    (「大川平の荒馬」のひろさんです)

    我、旅の求道者也
    (「大川平の荒馬」で知り合いました)

    下田ゆうじの津軽お祭道中
    (懇意にしている鳥井野獅子踊りの若手後継者、
     下田ゆうじさんが津軽の民俗文化を語る)

    小竹勇生山の瞽女宿
    (津軽三味線と越後瞽女を取材しました)

    津軽の侫武多
    (斎藤の作ったネブタ分布データを共有)

    阿部かなえの二胡のページ
    (北東北初の二胡の教室を開いた方です)

    憩いの森メーリングリスト
    (東北の魅力に触れるメーリングリスト)

    くぼた屋ウェブログ
    (岩手県滝沢村とゲームについての話題)

    土徳の世界
    (映像作家・青原さとしさんの公式サイト)

    藝州かやぶき紀行
    (広島の萱葺き職人を追うドキュメント)

    よたよたあひる's HOMEPAGE
    (ちょっとオタクな友人です)


    にほんブログ村
    このウェブログは、「にほんブログ村」に参加しています。

    + RSS
    + RECOMMEND
    美味しんぼ 108 (ビッグ コミックス)
    美味しんぼ 108 (ビッグ コミックス) (JUGEMレビュー »)
    雁屋 哲,花咲 アキラ
    「美味しんぼ」が、東日本大震災の被災地のうち、八戸(青森県)から石巻(宮城県)までの三陸地方を訪ねた。津波は、あらゆるものを流し去ってしまったけれど、清らかな海を護ろうとしていた重茂(岩手県宮古市)や唐桑(宮城県気仙沼市)には、生き物も還ってきた。陸前高田(岩手県)の醤油屋さんは、市民ファンドの援けも得て、新たな一歩を踏み出そうとしている。まっとうな食べ物を作っていた生産者たちは、どのように復興に取り組もうとしているのか。豊かな自然と、温かな絆をもったこの東北に、ほんとうの幸せがあったのではないか。わたくし斎藤博之が案内します。
    + RECOMMEND
    美味しんぼ 100 (100) (ビッグコミックス)
    美味しんぼ 100 (100) (ビッグコミックス) (JUGEMレビュー »)
    雁屋 哲
    わたくし斎藤博之が案内人として登場する『美味しんぼ』の「日本全県味巡り 青森県編」。三方を海に囲まれ、ブナやヒバの森に抱かれた青森県は、海と山の豊かな恵みを受けているばかりではなく、醗酵・粉食・天日干し・寒干しなど、食べ物を保存し・しかも美味しくいただく知恵を、幾百年の年月をかけて蓄積してきた。また、北前船で伝わった文化と北方の民俗が交叉し、旧い日本の食文化の基層を留めてもいる。
    + RECOMMEND
    日常生活のなかの禅―修行のすすめ
    日常生活のなかの禅―修行のすすめ (JUGEMレビュー »)
    南 直哉
    恐山菩提寺の院代・南直哉師は、曹洞宗大本山永平寺で長く修行され、曹洞宗を代表する論僧である。
    この著作は、「私」という存在の根拠への問いから始まり、他者との関係のなかに「生」を見出し、もう一度自己を再構築するための「禅」を説く。
    大乗仏教の根本思想を、恐山の禅僧が語る。
    + RECOMMEND
    「問い」から始まる仏教―「私」を探る自己との対話
    「問い」から始まる仏教―「私」を探る自己との対話 (JUGEMレビュー »)
    南 直哉
    恐山菩提寺の院代・南直哉師は、曹洞宗大本山永平寺で長く修行され、曹洞宗を代表する論僧である。
    この著作は、「私」という存在の根拠への問いから始まり、他者との関係のなかに「生」を見出し、もう一度自己を再構築するための「禅」を説く。
    大乗仏教の根本思想を、恐山の禅僧が語る。


    + sponsored links