ライター斎藤博之の仕事

このウェブログは、フリーランス・ルポライター斎藤博之が地域限定の新聞・雑誌または非売品の媒体などに執筆した文章を、広くお読みいただくために、公開することを目的にしています。
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青森林檎の地域づくり

 日本の林檎の半分以上は青森県で作られている。しかし、青森県の西洋林檎の栽培が、他の地域に較べてとりわけ早かったというわけではない。青森県が日本における林檎の一大生産地となった理由は、二つある。一つは、明治30年代に病害虫が大発生したとき、青森県で病害虫を防ぐ方法を開発したということ。もうひとつは、津軽の風土に適していた晩生(おくて)の品種国光が、端境期に売る商品を求めていた問屋のニーズに合い、全国へ流通するようになったことによる。 東京という大市場により近い長野県という産地や、低価格の輸入林檎に押されて、青森県の林檎も消費者に選んでもらうための差別化が求められている。ここに、農薬も肥料も一切与えない自然農法で、林檎を育てる農家が現れた。岩木山の麓に暮らす木村秋則さん。病害虫との闘いに苦しんできた林檎づくりにとって、自然農法で育てることはほとんど革命に近い。この驚くべき林檎と出会って、「食べる」ということを見つめなおした料理人がいる。青森県のスローフードは、この出会いから始まった。


*本稿は、建築コンサルタンツ協会の発行する『Civil Engineering Consultant』Vol.232,July 2006に発表した文章に、加筆訂正したものである。協会のサイトから記事のPDFを閲覧できる。

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野山の草木に聴け


 5月、津軽平野の真ん中にたおやかに聳える岩木山の裾野は、一面が真白な林檎の花の甘い香りに包まれていた。いささか風変わりな木村秋則さん(1949年生まれ)の林檎畑も、この山裾にある。

 「風変わりな」と言うのは、津軽の林檎畑は延々と連なっているのでどこまでが誰の畑なのか当人でなければ見分けがつかないのが普通なのに、木村さんの畑だけは林檎の樹の下草を刈らないので誰の目にも歴然と見分けがつくということによる。あれこれの野の草が、好き放題に生えているのだ。

 林檎園は、水分が蒸発するのを防ぎ、有機物を補うために、草を生やしている。しかし、草が大きくなりすぎると、逆にほんらいは林檎の樹に吸わせたい水を草に奪われ、また虫が発生するという理由で、春から収穫の秋までのあいだに5回ほど、草を刈ることになる。

「でもね、山の樹を見て御覧なさい。山の樹は、それぞれの樹の力で、幾百年も生きています。根の力で、生命(いのち)を紡いでいく。それが植物の自然な姿だとすれば、林檎もまた、生命の力を恢復しなければならないのではないでしょうか」

 林檎は病害虫に弱いと言われてきた。明治以来の林檎栽培の歴史は、病害虫との格闘の歴史だとも言える。それなのに、木村さんは薬剤を撒かない。生命の力があれば、虫は寄り付くものではない、と平然としている。傷ついた幹には山葵を塗り、木酢液や酢を散布する程度だ。人間が口にしても安全な、これら「農薬」を用いるために、木村さんの農法は「有機認証」を得ることは出来ない。

 その上、この人は、肥料すらも与えない。世の「有機林檎」が家畜の堆肥を与えるのとは、まったく逆である。「野山の草木は、肥料を与えなくても、毎年花を咲かせ、実を結びます」。これが木村さんの理屈である。

 「林檎には薬剤の撒布が欠かせない」という常識を打ち破る最先端の技術は、「自然農法」なのだった。自然に学び環境と調和する農業で、もっとも付加価値の高い林檎を作っている。安全と安心を求める消費者のニーズに、合致するからだ。

 自らの力で根を張り、山の樹のように草と競争しながら水と養分を吸い上げた、生命の林檎の味は、甘さだけが強調されることはなく、しっかりした酸味があって、どこか懐かしい気持ちにさせられる。


青森県の近代を拓いた林檎づくり


 青森県つがる市柏地区。広大な林檎畑の中に、わが国でいちばん旧い林檎の樹が3本ある。明治11年(1978)に40〜50本植えたもののうち、紅絞2本と祝1本が残っていて、いまでも一本から40箱ほどの収穫があるという。林檎の樹も、このように太く高くなるものかと、見るものを驚かせる。

 日本の林檎の半分以上は青森県で作られている。しかし、青森県の西洋林檎の栽培が、他の地域に較べてとりわけ早かったというわけではない。欧米の列強に伍する産業を興そうとした明治政府は、試みにあれこれの果樹を全国に配って植えさせた。林檎もその一つだったわけである。

 内務省勧業寮が林檎の苗木を配り始めたのは、明治7年(1874)。青森県には翌る明治8年(1875)春に、初めて3本の苗木が配られた。この3本は長く青森県庁の庭で育てられていたが、第二次世界大戦の空襲で焼け、いまはない。内務省からは、明治8年秋に75本、明治9年秋に230本の苗木が届いている。

 こうして栽培の始まった林檎だが、すぐには実を結ばなかった。初めて林檎の実を採ることが出来たのは、明治8年秋に内務省から配布された紅魁を弘前の蚕農家・山野茂樹が屋敷に植えたもので、明治10年(1877)のことだった。

 明治時代の青森県で作られていた林檎の品種は、国光(津軽では「雪の下」、岩手では「晩成子」と言う)が5割弱、紅玉(津軽では「千成」、南部では「満紅」と呼ぶ)が3割で、この2種類でほぼ8割を占めていた。ほかに、柳玉、祝(津軽では「大道寺中手」と言った)、倭錦(信州の「善光寺林檎」)、紅魁(津軽で「山野早生」と呼ぶのは、青森県で初めて林檎の実を結ばせた山野茂樹の名に因む)、紅絞(「玉かんざし」とも呼ぶ)なども少しずつあり、いずれも明治4年(1871)に北海道開拓使がアメリカやフランスからわが国に導入したものである。

 青森県が日本における林檎の一大生産地となった理由は、おそらくは二つある。一つは、明治30年代に病害虫が大発生し、ほかの産地が撤退していくなかで、青森県だけは切り倒した樹のあとにもう一度苗木を植え、樹形を改造し、袋掛けで林檎の実を守り、動力噴霧器でボルドー液の撒布を始めたということだ。号令を発したのは、外崎嘉七(1859〜1924)。「林檎の神さま」と呼ばれている。

 もうひとつは、国光が津軽の風土に適していたということである。この林檎は11月に収穫する晩生(おくて)の品種で、津軽での別名のとおり「雪の下」で冷蔵しておき、春から夏にかけて東京の青果問屋に売ったと言う。問屋にとっては蜜柑も終わった端境期で売るものがなく、国光は全国へ流通するようになった。まさに、国光が雪の下の村々に春をもたらしたのだった。

 やがて1960年代に林檎の価格が暴落したのをきっかけに、1970年代になると主力品種はデリシャスへ移行するが、もともとこの系統は東京銀座の千疋屋が弘前市船沢地区に作らせて売っていた経緯もあって、この地域のスターキング(デリシャスの枝変わりの一つ)が品評会で授賞を続けることになる。

 そのデリシャスも、1980年代以降は「ふじ」に取って代わられることになる。国光にデリシャスを掛け合わせたこの品種は、いまでは世界の林檎生産の2割を占める、世界でいちばん生産量の多い品種となったが、青森県藤崎町にあった農林省園芸試験場東北支場(現在は盛岡市に移転して農業技術研究機構果樹研究所リンゴ研究部となっている)で誕生したものだ。津軽で生まれた品種が世界を席巻していることになる。


青森発のスローフード


 「印度」という林檎の品種がある。津軽藩の藩校であった稽古館が母体となって、明治5年(1872)、弘前に私立学校東奥義塾が生まれた。言い伝えによれば、「印度」はこの学校の創立にかかわった菊池九郎の一族、あるいは明治7年(1874)に英語教師として招かれたプロテスタントの宣教師ジョン・イングが、アメリカ・インディアナ州から取り寄せたものだと言う。その伝説の真偽はともかく、「印度」は日本で生まれた初ての西洋林檎の品種だった。その背景に、弘前という地方の小都市から近代を切り拓こうとする志しがあったことは、間違いがない。

 林檎の街・弘前は、洋館の町でもある。教育に熱心な土地柄で、私学に外国人教師が招かれ、キリスト教も布教した。城大工や宮大工の技術を持った職人のなかに、独学で和洋折衷の技術を研くものが現れた。その代表が、堀江佐吉(1845〜1907)である。国の重要文化財となっている「旧第五十九銀行」(現青森銀行記念館)や「旧偕行社」(現弘前女子厚生学院)を初め、数多くの洋館が佐吉や堀江組の手で建てられた。風土のなかから生まれた洋館の佇まいは、林檎と同じように、暖かな陽だまりを感じさせる。

 弘前市は、フランス料理の店も多い。「洋館とフランス料理の街 ひろさき」というキャンペーンを行なっている。その仕掛け人の一人が、レストラン山崎のオーナー・シェフ山崎隆さん(1952年生まれ)。「フランスには、その土地その土地の料理があるんです。フランス料理は風土なんですね。だから、弘前のフランス料理というものがあってもいい。弘前の郷土の料理として、フランス料理もあっていい」。

 じつはこの人、弘前スローフード倶楽部の事務局でもある。山崎さんの店が、地元の食材や生産者と消費者をつなぐネットワークになっているのだ。その姿勢は、店のメニューに現れている。「鰺ヶ沢の長谷川自然牧場の豚肉のソーセージ」「百石町の畑中農場の銀の鴨と岩木町の田村眞裕美さんの人参のパテ」、そして極めつけが「岩木町の木村秋則さんの自然農法栽培の冷製スープ」。

 このスープ、季節によって味が変わる。よく考えれば、それは当たり前のことだ。林檎は収穫のあと、だんだんに糖度を増していく。木村さんは充分に熟してから林檎をもぐが、冷蔵庫で保管しているあいだに糖度が増す。収穫を終えたばかりの秋は酸味が強く、熟成がだいぶ進んだ初夏はデザートのように甘い。林檎の味がこんなにも変化していくものだということを、このスープが気付かせてくれる。

 25年前、木村秋則さんは、「おまえの畑に林檎が花を咲かせたぞ」と教えてくれた近所の人のことばに、夢中で畑に向かって走っていた。自然農法を始めてから丸6年、畑の林檎は稔らなかった。花すらも咲かなかったと言う。すべては自然が教えてくれる。その信念は正しかった。やがて、一人の料理人と出会い、その信念は地域づくりのネットワークになった。

 青森県の近代は、林檎とともに歩んだ歴史であった。林檎こそは、青森の近代の象徴であった。130年後のこんにち、原点を見つめなおすことで、林檎が青森発のスローフード・スローライフの象徴になろうとしている。


(参考資料)

『平成17年度版 青森りんご』青森県農林水産部りんご果樹課(2005年)

杉山芬・杉山雍『青森県のりんご』北の街社(2005年)

| 斎藤 博之 | [食の文化]食材(林檎) | 15:08 | trackbacks(0) | comments(2) |
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どうして林檎がたくさん作られるようになったのですか
| | 2009/06/23 2:50 PM |
本文中に書きましたが、
1)病害虫の被害にあっても対策を講じたこと
2)冷蔵して果物のない季節に出荷したこと
によるものです。
| 斎藤博之 | 2009/08/08 3:57 PM |










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