ライター斎藤博之の仕事

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奥大道と平泉(1)中世都市平泉のコスモロジー

黄金の国の由来
〜奥大道と中尊寺〜

 中尊寺へ上る坂は、その登り口がいささか急で、うっすらと汗が滲む。鬱蒼とした杉木立が、坂を覆っている。樹齢は三百年を下らない、江戸時代に仙台藩が植えた老杉だと云う。この坂を「月見坂」と呼ぶ。これが白川の関から外ヶ浜に至る「奥大道」だ。

中尊寺月見坂

 天台宗東北大本山関山中尊寺。嘉祥三年( 850年)に慈覚大師円仁が開山したと伝わるこの地に、奥州藤原氏の初代清衡が中尊寺を造営したのは長治二年(1105年)のことであった。清衡は関山に一宇の塔を建てた。「多宝塔」または「多宝寺」と呼ぶ。関山のどこにあったかは定かではないが、ここがみちのくの中心であった。

 『吾妻鏡』の文治五年九月十七日(1189年11月3日)の条に曰う、「寺塔四十余宇。禅坊三百余宇也。清衡管領六郡之最初草創之。先自白河関至于外浜。廿余ヶ日行程也。其路一町別立笠卒都婆。其面図絵金色阿弥陀像。計当国中心。於山頂上。立一基塔。又寺院中央有多宝寺。安置釈迦多宝像於左右。其中間開関路。為旅人往還之道」。

月見坂から衣川を望む

 月見坂を上る途中に、「東物見」がある。束稲山のふもとの北上川に、霧がかかっているのが見えた。


金色堂旧鞘堂

 月見坂を上った正面に、金色堂のかつての鞘堂がある。「五月雨の降のこしてや光堂」。芭蕉が訪れた元禄2年(1689年)、金色堂は、この鞘堂に覆われていた。「兼て耳驚したる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散うせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽て、既頽廃空虚の叢と成べきを、四面新に囲て、甍を覆て雨風を凌。暫時千歳の記念とはなれり」(『おくのほそ道』)。

旧鞘堂内部

 新しい覆堂は、その左手の経蔵の手前にある。金色堂は、そのなかに眩く輝いていた。巻柱や須弥壇は螺鈿と蒔絵に覆い尽くされ、この世のものとは思えない。芭蕉が光堂と呼んだのも頷ける。「上下四壁内殿皆金色也。堂内搆三壇、悉螺鈿也」と『吾妻鏡』に記された、創建のときの姿をとどめている。棟札によれば、天治元年(1124年)に上棟された。のちにマルコポーロが『東方見聞録』に「黄金の国ジパング」について「宮殿や民家は黄金でできている」と書いたのは、この金色堂のことを伝聞したためだとも言われている。


中尊寺ハス

 金色堂の脇の坂を降りると、いまは田畑になっている大池伽藍の跡があった。戦で命を落とした者の魂を鎮め、この世に浄土を現そうとした庭園は、基衡や秀衡に受け継がれていくことになる。ここで発掘された蓮が、片隅の池で花を咲かせていた。


* この文章は、JR東日本の新幹線で配布している車内誌『トランヴェール』2011年9月号の特集「奥大道と平泉」として執筆したものに、加筆修正しました。


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薬師浄土と金鶏山
〜毛越寺・観自在王院〜

 中尊寺を降り、金鶏山の麓を毛越寺に向かう。芭蕉の時代には荒れ果てて、『おくのほそ道』は毛越寺に寄っていない。「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す」。夏草や兵どもが夢の跡、というわけである。

大泉が池

 天台宗別格本山医王山毛越寺。中尊寺と同じように、嘉祥三年( 850年)に慈覚大師円仁が開山したと伝わっている。二代基衡が造り始め、三代秀衡が完成させた。もういちど『吾妻鏡』を見てみよう。「寺塔四十余宇。禅坊五百余宇也。基衡建立之。先金堂号円隆寺。鏤金銀継紫檀赤木等。尽万宝、交衆色。本佛安藥師丈六。同十二神将。雲慶作之」。

金堂円隆寺址

 毛越寺表門は、JR東北本線平泉駅から西へ、真正面にある。表門を入れば、現在の本堂は正面にあり、池のある浄土庭園が右手に見えた。「大泉が池」と言う。発掘調査によれば、この池の前に「南大門」があった。『吾妻鏡』に見える「二階惣門」である。この門から、池を挟んで、金堂「円隆寺」があった。東廊の先端に鐘楼が、西廊の先端に経楼があったものと思われる。毛越寺は、西へ向かっているこんにちの姿とは異なり、金鶏山のある北へ向かっていたのである。

常行堂

 円隆寺の址の遣水を挟んだ東に現在の常行堂がある。小正月に、この常行堂の宝冠を戴く阿弥陀如来の後ろに秘め祀る摩多羅神に経を供え、その結願の夜に延年を舞い、蘇民祭が行なわれる。二十日夜祭の舞台だ。そのさらに東側に、往時の常行堂と法華堂の址が見つかっている。

 円隆寺の西には、これと同じ規模の寺院の址がある。ここに、円隆寺より以前から「嘉祥寺」があったと伝えられてきた。『吾妻鏡』には「嘉勝寺」と記され、基衡が入滅したために秀衡が完成させたと書かれている。「四壁并三面扉、彩画法華経廿八品大意」とある。さらに、嘉祥寺と円隆寺のあいだの北奥には、「講堂」があった。

遣水

 古の毛越寺の大伽藍を想像してみる。京の都にもない大門をくぐれば、心を吸い込まれるような庭園がある。池の水面に映る碧が美しい。その向こうに大伽藍が並んでいる。その金堂の上を拝めば、金鶏山だ。『吾妻鏡』にも「鎮守者惣社金峯山。奉崇東西也」と書かれ、奥州藤原氏の仏国土にとって要の位置を占めていた。


観自在王院

 毛越寺の表門の手前に、かつての毛越寺の伽藍から見れば東に並んで、観自在王院がある。いまは史跡公園で、その中央に「舞鶴が池」が復元されている。『吾妻鏡』によれば、基衡の妻で安倍宗任の娘にあたる人物が建立し、阿弥陀堂と小阿弥陀堂があった。阿弥陀堂の仏壇は銀で、高覧は金で磨かれていたと言う。この観自在王院の南大門から南に延びる路の両側に数十町にわたる「倉町」が並び造られ、数十宇の「高屋」が建ち並んでいた。観自在王院の西面に、数十宇の車宿があったとも書かれている。掘立柱で作られた牛車を繋ぐ車宿も、その記述のとおり発掘された。

阿弥陀堂

阿弥陀浄土と都市計画
〜無量光院と柳之御所〜

 平泉の駅前から、奥州街道を北上する。三百年余り前、芭蕉が通った道である。踏切を越えてしばらく行くと、左手に無量光院の址がある。「新御堂」と号し、悉く宇治平等院を模して、三代秀衡が建立した、と『吾妻鏡』に書かれている。奥州藤原氏の時代に平泉に建てられた、最後の寺院である。

無量光院

 土塁に囲まれて、寺の遺跡はあった。説明板の建っている辺りが、東門だと云う。水は湛えていないものの、池が復元されている。この池の手前に東中島、奥に西島があり、西島の右手に橋を架けて北小島があった。中島には3つの建物、西島に本堂とその左右に翼廊があったことが、発掘調査でわかっている。その翼廊が、宇治平等院の鳳凰堂を遥かに凌ぐ大きさだった。

金色堂に沈む夕陽

 『吾妻鏡』によれば、本堂に祀られていたのは六丈の阿弥陀如来だった。東門から観て、東中島の3つの建物と、西島の本堂が、西へ一直線に並んでいる。その先に、金鶏山の頂がある。東門に立てば、4月の半ばと8月の末に、太陽はこの金鶏山に沈む。金色の阿弥陀浄土が現われるであろう。

柳之御所の池

 ちなみに、東門からさらに東を見れば、柳之御所と加羅御所がある。柳之御所は『吾妻鏡』の「平泉館」にあたると考えられている。ここに奥州藤原氏の居館があって、秀衡の時代に政庁になった。柳之御所の跡は発掘が進み、史跡公園として復元整備が進められている。その公園を歩くと、無量光院の真東に柳之御所の池があった。

柳之御所

 どんな都市も、ひとつの宇宙をかたちづくっている。「奥州藤原氏の平泉という都市が初めて、中国を模したのではない日本的なコスモロジーで設計されたと言えるでしょう」と、東北芸術工科大学教授で中世史が専門の入間田宣夫さんは言う。「東を南北に川が流れ、宮殿、寺院、浄土を示す山が東西一直線に並んでいる。こういう都市の構造は、京の都にはなく、のちに列島各地の中世の城下町に取り入れられていくのですが、その出発点は平泉なのです」。

 「古代の社会では、政治的な権力と、宗教的な権威は一体です。中世の世界では、政治的な権力は、民衆を代表して宗教的な権威を拝むことになる。権力者は自分のためではなく、民衆のためと謳って公共性を実現しなければならない。そのために寺院を築くのです。浄土の思想で仏国土を造る。日本の中世は、奥州藤原氏から始まったといっても過言ではありません」。


| 斎藤 博之 | [地域の社会史]奥大道と平泉 | 21:09 | trackbacks(0) | comments(0) |
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