ライター斎藤博之の仕事

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義経北行伝説シンポジウムin八戸(その1)

2013年3月3日、青森県八戸市が主催して行なわれた「義経北行伝説シンポジウムin八戸」の内容を紹介します。

第1部:トークセッション
 入間田宣夫 氏(歴史学)
 小松和彦 氏(民俗学)
 進行役:斎藤博之

[斎藤]
 義経伝説について議論しようとすれば、しばしばその伝説は「歴史的な事実」なのか、「偽り」なのかという論争になってきたのですが、そういう議論を期待されて聴きに来られた方も多いのかもしれませんが、今日はそういうお話はしません。このシンポジウムにともなって伝説を伝える家や神社・お寺からたくさんの宝物をお借りして、別な会場(八戸市美術館)で企画展をやっておりますが、伝説と宝物を伝えてきた家の方々にとって、義経伝説は決して「偽り」の物語ではなく、その家や神社・お寺で代々信じてきた「真実」だと思います。さらに義経伝説を伝えてきた家・神社・お寺がどこかに1つあるというだけではなく、東北の各地にたくさんあるということは「歴史的な事実」ですし、それぞれの場所の伝説が幾百年にもわたって伝えられているということも「歴史的な事実」だと思います。このことが東北という場所にとって、あるいは三陸という場所にとってどんな意味があるのか、開会にあたって八戸市長も「伝説を一つの切り口にして三陸の復興につなげていきたい」とお話しされましたが、伝説を切り口として三陸の歴史や社会についてどんな捉え方ができるのかということを探ってみようということを、本日のテーマにしたい思います。
 今日は、歴史学の入間田先生と、民俗学の小松先生をお招きしているので、お二方にいろいろな話をお聞きしながら、この問題について考えていきたいと思っています。

* ここに掲載するのは、あくまで進行役の斎藤がまとめたものなので、お話しいただいたものをそのまま掲載しているわけではありません。内容に対する責任は斎藤が負うものであることをご承知の上、お読みください。なお、敬称は省略させていただきます。

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平泉に幕府があった

[斎藤]
 まず、義経が生きていた時代、<奥州>が日本にとってどんな意味があったのか、入間田先生にお話しいただきたいと思います。特に、入間田先生は、日本の中世は平泉から始まったんだということをお書きになっておられますので、日本の中世が始まるに当たって奥州が果たした役割などを中心に、お話しいただければありがたいと思います。
[入間田]
 藤原秀衡が1187年の秋10月の終わりに亡くなるんですけれども、そのとき義経と息子の泰衡・国衡に遺言をするんですね。「わしはこれから死ぬけれども、わしが死んだ後は義経を総大将にして、それに息子の泰衡と国衡がお仕えをして、鎌倉方の攻撃を迎え撃ち、逆にこちらから鎌倉を攻めて、鎌倉に負けないぐらいの幕府を作る」という命令をするんですね。歴史的な事実としては鎌倉幕府が成立するんですけれども、もしも秀衡の目論見どおりいくと平泉にも幕府ができていたはずでした。実際に、その後数カ月以上1年ぐらいは、泰衡・国衡の兄弟はお父さんの遺言を守って、奥州の全域、いまの宮城県あるいは山形県、秋田県方面にまで軍隊を進めて、東北に義経を大将とする軍事独裁政権を作ったんですね。これまでの通説では、泰衡はすぐに心変わりして、義経を邪魔者にしたことになっているわけですけれども、そうではない。しばらくの間は本当に義経を大将として、鎌倉に負けないような国づくりをしようということを考えていたことが、最近になって明らかになりました。
 それから、義経もなんとなくお兄さんにいじめられて、いる所がないからやむを得ず平泉に逃げてきたんだとか、あるいは秀衡もかわいそうだからかくまってやったんだなんていう、浪花節みたいな話がずっと何百年と信じられてきたんですけれども、それもそうではなくて、秀衡は最初から自分のそういう国づくりのための金看板にするつもりで義経を呼んできたんですね。義経もそのつもりになって、初めから国賓待遇で平泉に迎えられてきた。だから、かわいそうなんていうものではないんですね。初めから秀衡は、義経をいただいて自分が黒幕になって国づくりをするという、そういう壮大なプランがあって、だからこそ頼朝は警戒する。単に兄弟の仲が悪いなんて、そういう話ではないんですね。
 それから、京都の義経が、頼朝の名代として、京都でいろいろな行政をやっていた時期もあるんですけれども、そのときにも実は義経はちゃんと立派に、今で言えば京都府知事みたいな仕事をこなしていて、イメージから言うと義経というのは何もできない人で、かわいそうな人で、戦はうまいかもしれないけれども、他は本当に頼りなくて、秀衡がかわいそうだから拾ってやったみたいなイメージなんですが、そんなことはなくて、やっぱり頼朝あるいは義仲もそうですけれども、あるいは同じ時代で言えば清盛がそうですけれども、あの時代はそれぞれの武将がそれぞれの全国各地にミニチュア、小さい幕府を作って、それでお互いに天下取りのゲームをするという、そういう時代だったんですね。
 最近、神戸大学の高橋昌明さんが『平家と六波羅幕府』(東京大学出版会)という本を出しました。1週間ほど前に私のところに届いた。その高橋さんが言う1年前に、私は平泉幕府という言葉を使っていますから、最近の学会の流れから言うと、鎌倉幕府だけが幕府なのではなくて、いくつもの幕府の可能性があって、そのいくつもの幕府の潰し合いの中から、最後にたまたまいろいろな理由があって残ったのが鎌倉幕府だというようなことなんですね。この平泉あるいは奥州にも、鎌倉幕府を作ったと同じようなパワーが当時生まれてきていて、そのパワーの一番の象徴として、義経がいた。泰衡も十分そのことは承知だったわけで、初めから義経を邪魔にしたわけではない。その後、いろいろな京都側からの政治工作があって、義経と泰衡を離反させるような、仲違いさせるような京都側からの働きかけがあって、これは頼朝の差し金なわけだけれども、それはまた次の段階の話なんですね。
[斎藤]
 要するに、今までの一般的な理解だと、義経という人は戦上手ではあったかもしれないけれども、政治的なことには疎く、北の平泉へ追いやられたというイメージが定着してきたわけが、最近の歴史学ではそうではないということが明らかになってきた。
[入間田]
 それから、平泉の方も、義経がかわいそうだからかくまったなんていう話になっているんですが。
[斎藤]
 そういうことではなくて、奥州に一つの独立した権力があり、そのシンボルが義経だったと、こういうことなんですか。
[入間田]
 だから、秀衡もただのお人好しではなくて、ちゃんと義経を自分たちの金看板にして天下を取るという、そういうつもりだったので、そのあたりはこれまでは浪花節で、かわいそうな義経と優しい秀衡みたいな感じでやってきましたから、そのイメージが今がらがらと崩れている、それがまず大前提です。

平泉の権力はなぜ敗北したか

[斎藤]
 それでは、その奥州にあった独立した権力が、なぜ失敗あるいは敗北したのでしょうか?
[入間田]
 それは、すごく難しい問題なんですけれども、つまり平泉の百年間の平和というものは、黄金などの富に裏付けられていた、そして京都の朝廷との平和共存――外交戦略で朝廷と共存するというかたちで維持されてきた。ところが、頼朝は義経を出せば平泉はそのまま存続させるからと言う。今で言えば国連の仲介みたいなことなんですね。京都側は頼朝の策略に乗って、義経を出せば本当に平泉をそのまま存続させるのだと思って、仲介に入る。京都がそこまで言うんだったらばというので、泰衡も義経の首を差し出したんですけれども、頼朝の方がずっと悪賢くって、いわば国際的な約束みたいなものを平気で破る、それはやっぱり想定外だったんですね。平泉はずっと長い間、京都との同盟関係、いまの日本で言えば日米同盟のようなものですけれども、そういう同盟関係でもって平和を維持してきたわけですから、なかなか頼朝がそこまで国際的な約束を破ってくるとは想定していなかった。そういういろいろな事情があって負けたんですけれども、しかしながら鎌倉の幕府に負けないような幕府を作るポテンシャルというか可能性はあった。そのことがすごく大事だと思う。

義経は<平泉幕府>の金看板

[斎藤]
 ここまでは奥州から見れば、奥州に一つの独立した権力があって、そのシンボルが義経だったということなんですが、今日は義経北行伝説のお話なので、義経が主人公ですから、これを義経から見ると、義経はなぜ択んで奥州に来たのか、奥州という場所は義経にとってどんな存在だったのか、という点を次に考えて見たいと思います。
[入間田]
 それは、頼朝の兄弟は皆そうですし、義仲もそうなんですけれども、つまり当時「貴種」といって、武士の源氏の棟梁という毛並みの良い血統を引いている、それだけでは政権作れないんですけれども、それをサポートしてくれる地方豪族、平泉の秀衡とかは自分たちの政権作りにどうしてもそういう金看板が欲しい。それでそれぞれ金看板を連れて来る。頼朝だってそうなんですね、頼朝だけが力があるわけではなくて、あれはやっぱり北条とか、あるいは三浦とかに担がれて鎌倉幕府を作るわけですから、頼朝も金看板なんですね。奥州の幕府の主になりませんかと言われて呼ばれれば悪い気はしないわけで、やって来るわけですね。
 義経にとって唯一間違っていたのは、鎌倉の頼朝が旗揚げをしたらば、秀衡の下を去って駆け付ける、あれはちょっとまずかったんだね。ずっと鎌倉に行かないで奥州で頑張っていれば、もうちょっと良かったのかというふうにも思うんですけれども、ですから、秀衡が死んだからといって、すぐにもう義経が諦めて北の方に逃れるなんていう話にはならないので、やっぱりその後も国衡あるいは泰衡のもとで、独立政権を作るような動きはぎりぎりまでやるんです。逆に言えば、泰衡の方だってすぐにお父さんの遺言を反故にして、義経を追い出しにかかるということではないのであって、その辺のところはもっと強烈な意思があった、その辺も伝説では秀衡が死んでしまうとすぐに、優しいおじいさんがいなくなって、もう平泉はなくなったから、自分ですぐに平泉からさよならして、こっちの方に来たみたいになっているんですけれども、それはやっぱり浪花節の話ですが、事実ではないでしょう。

貴種というブランド

[斎藤]
 そうすると、奥州が義経を一つのシンボルとして呼んでくる、その義経を支える権力的な背景はあったとして、そこにシンボルとして義経を呼んでくる特別な意味というのは。
[入間田]
 やっぱり、当時の地方の豪族、平泉もそうですし、越後にしてもそうですが、地方の豪族だけでは実力があったとしても、残念ながら大勢の人が心を寄せてくれる、信頼してくれる、そういうブランドがない。ところが、源氏とか平氏というのは、もともとは天皇の子孫が民間に下って源を名乗る、姓を名乗るというわけですから、やっぱり毛並みが、ブランドが違うんですね。ですから、地方の豪族で天下取りを目指す人は、自分が正面に立ったのでは、それだけでは人が集まらないから、やっぱり必ず源氏、平家、それから南北朝時代にはさらにもっと進んで宮様を必ず、後醍醐天皇の宮様等々を連れてきて、これを担ぐんですね。それは、日本人の中世以降のずっとそういう癖になっていて、明治のときだって輪王寺宮なんていうのが担がれて、奥州列藩同盟の盟主になるというふうに、天皇あるいは天皇の血筋を引いた人をとにかく担ぐのね、悪く言えば利用するということがある。それで、平泉では実は義経を担いだばかりではなくて、最近わかってきたわけですけれども、後白河法皇の皇女、お姫様もこっそりと呼び寄せていて、平泉に住まわせていたということもわかってきているんですね。ですから、地方の豪族にとっては、やっぱり自分のブランドが足りない分だけ、そういう天皇あるいはそれにつながるような貴種、そういう血統ブランド、今だってそうでしょう、犬とか飼うときに血統書というのが大事なんですけれども、やっぱり当時は血統書がないと人が集まらないということで、そういうことになった。

兼任の乱――「義経」は東北の独立のシンボル

[斎藤]
 今、貴種という言葉が出てきたんですが、義経北行伝説というのは一つの貴種流離譚の話だと思うので、ここは小松先生の分野だと思いますから、あとで詳しくお聞かせいただくこととして、歴史学の方から、だいぶ今までの義経についてのイメージ、あるいはその平泉の藤原氏についてのイメージというものが変わってきているんだなということがおわかりいただけたかと思います。そこで、今まで考えられてきた歴史とは違う、奥州に一つの権力があって、義経がそのシンボルだとすれば、それが歴史的な事実だとすれば、その後に北行伝説を奥州の人びとが語りたがる背景というものも、そこから生まれてくるのかなという気もします。
[入間田]
 そのとおりで、実は平泉が滅亡したのが文治五年、1189年の夏なんですけれども、その半年後に平泉の残党あるいは東北の北の地方の人たちが、新しくやってきた鎌倉幕府があまりにもひどいことをするものですから、平泉の弔い合戦という格好で、その年の冬から翌年の春ちょっと前ぐらいまで反乱が起こすんです。これが大川兼任の乱。乱というのは、鎌倉幕府から言えば乱ですけれども、この反乱を起こした大川兼任から言えば平泉の弔い合戦、正義の戦争。その戦争のときに、大変面白いエピソードがあって、「わしは義経じゃ」と言うんですね。あるいは、もう一つ並んで「わしはあの朝日将軍の義仲の息子の朝日冠者だ」と言うんです。それは兼任本人だったり、あるいは兼任の身近な人が、そういうふうに義経の金看板を掲げたんでしょう。もうそのときには義経の首は取られて鎌倉に行っているんですけれども、でも地元兵を集めるにはやっぱり義経のブランドが欲しいわけです。反乱軍は「義経」を看板にして平泉を取り返して、さらに鎌倉に向かって攻め進み、いまの宮城県の大崎市(合併前の古川市)の辺まで攻めていったところで鎌倉方とぶつかって、負けて散り散りばらばらになるんです。
 義経が平泉で亡くなり、そして平泉が滅亡して間もないころから、すでに東北の人たちは「義経」を自分たちの、中央に対する独立の気持ちを表すシンボルにしているんです。すでに。だから、普通は義経伝説は、ずっと後の室町時代とかになって広まってきたと思われているわけですけれども、実はもう平泉が滅亡した直後から、すでにもう、義経は東北の人びとの独立の気持ちの支えになっている。そういうことが、まずベースとしてあるんだということですよね。
[斎藤]
 この大川兼任の軍勢というのは、ほとんど北東北から集めているんですね。7万騎でしたか。
[入間田]
 いろいろあるんですけれども、とにかく大変な数が集まって、一時期は平泉を鎌倉方から奪還をするんです。


(この項つづく)

| 斎藤 博之 | [地域の社会史]義経北行伝説 | 20:15 | trackbacks(0) | comments(0) |
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