ライター斎藤博之の仕事

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義経北行伝説シンポジウムin八戸(その2)

前回に続き、2013年3月3日に青森県八戸市が主催して行なわれた「義経北行伝説シンポジウムin八戸」のうち、「第1部 トークセッション」の内容を紹介します。お話いただいたのは、入間田宣夫氏(歴史学)と小松和彦氏(民俗学)で、進行役は斎藤博之が務めさせていただきました。

* ここに掲載するのは、あくまで進行役の斎藤がまとめたものなので、お話しいただいたものをそのまま掲載しているわけではありません。内容に対する責任は斎藤が負うものであることをご承知の上、お読みください。なお、敬称は省略させていただきます。

伝説も歴史をつくる

[斎藤]
 『吾妻鏡』という鎌倉幕府のいわば正史のような書物の中では、義経の兄の頼朝が大変に驚いているんですね。首実検をして義経が死んだということを確かめているはずなのに、義経が兵を挙げたという伝えが鎌倉の方に入ってくると、もう大変に驚いて、すぐ兵隊を集めようとする。それから、義経についての伝説というのが、もう既にここから始まっていて、実はその死んだ義経が兵を挙げる、それが当時の鎌倉ではさもありなんことだと思う、何かこういう怨霊とか、伝説とかが事実と入り交じった、そういうことが義経が亡くなった直後から起きているということについて、ここは小松先生の分野だと思いますが。
[小松]
 小松でございます。広く東北に義経伝説が広まっているわけですけれども、これを都の方から語る場合と、こちらの東北の地域の方々が語る場合のずれ、先ほども入間田先生がそのずれについてお話くださったと思うんですが、歴史的な解釈の問題でも、伝説でも随分ずれがございます。
 私は幼いころ函館に住んでいたことがございます。小学校に入る前から小学3年ぐらいなんですけれども、函館山の西の麓の、さらにその海岸の西南になるんでしょうか、海岸に穴間という場所がありまして、ここにいろいろな伝説があります。例えばそこには大ダコが住んでいるとか、洞窟が函館山の奥底まで続いているんだとか、いろいろな伝説のある場所なんです。土地の人から、あそこは源義経の一行が生き延びて、内地からやってきて隠れ住んでいたんだと、さらにしばらくそこで滞在して、さらに奥の方に出かけたんだということを聴きました。その後、義経とは何ぞやと、一体なぜこんなところに来たのかと、牛若丸の話を読んで育ちました。東北に点々と義経伝説が伝わっている、さらには蝦義経は夷地や千島へまでも行き、果ては大陸に渡ってジンギスカンになったんだとか、そういう伝説を聴きました。
 史実の義経と伝説の義経、この2つを見比べながら、なぜ義経がある意味ではヒーローになっていくのかというようなことに興味を持ったんですね。そうすると、入間田先生がご指摘されたように、早い時期に既に義経が非常に大きな東北の権力・勢力のシンボルになっていたというようなことが、おそらくは伝説の背景にあったんだろうと思うんですね。ただ、残念ながら入間田先生の話にありましたように、さまざまな意味での政治的な駆け引きの中で破れていったと、あるいは権力争いに破れていったと。敗者というものについての思いというのが、いろいろな屈折した形で伝えられていると思うんです。
 例えば時代を下って、義経の生存伝説に似たものとして、スケールは小さいかもしれませんけれども、西郷隆盛が実は西南の戦争で自害して首実検まで受けたんだけれども、隆盛は生き残ってロシアに行って、ロシアの軍隊を指導して、ロシアの皇太子の訪日に随行して、ロシアの軍隊も引き連れて帰ってくるというような、そういう伝説がまことしやかにある時期信じられ、九州を中心に新聞記事にもなったりしました。ですから、生き残っていてほしい敗者への思いというものは、ずっと日本人の中に、義経の時代、あるいはひょっとしたらその前ぐらいから語り伝えられていて、それが例えば明智光秀がひょっとしたらとか、誰それが生きていたら、あるいは生きているんだという、おそらく長い伝統の中の一つの形だろうと思うんですね。
 東北の人たちが義経を生かしておきたい、その思いがいろいろな形で、おそらくは東北の人たちの中に生きていたと思うんです。義経がもしも生きていて東北に政権を立てていたら、違った歴史や違った世界が、中世が開かれたかもしれないと。もしも徳川家康が早く死んでいたら、伊達政宗が天下を取るためにとか、そういう思いともつながっているのではないかと。根底には、あの人が早く死んでいたら、あの人が早く死んじゃったからとかいう思いというのが、新しい何か物語を作っていく背景に私はあるのではないかというふうに思っております。それは、ある意味では歴史の読み替えでもあるし、自分たちの歴史を、こういう歴史だったら良かったなと思い、それがある意味では義経伝説を作っていく一つの原動力になっているんだろうというふうに私は思っております。

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「御曹子島渡り」

[斎藤]
 御伽草子という中世の物語文学がございますが、その御伽草子の中に「御曹子島渡り」という物語があって、秋田県立図書館が所蔵する奈良絵本の一場面を、きょうのパンフレットにも、載せてあります。大変色のきれいな絵です。この物語の主人公は、まだ若いころの義経です。平泉で敗れて逃げていく義経ではなくて、若いころこれから平家を討つために兄頼朝と合流しようとする義経が蝦夷地に行くという物語なんですけれども、その「御曹子島渡り」をどう読み解くのか、小松先生は論文を書いておられますね。
[小松]
 中世に『義経記』という義経を中心とした、その後の義経をヒーロー化していく物語というのが作られてくるんですけれども、その中で義経のイメージというのは随分変わります。『義経記』の中では、どちらかというとまだ強い義経みたいなものが描かれているんですけれども、その後、いろいろな形で義経の物語というのが作り直されて、あるいは語り直されていきます。弁慶とセットになって語られてくると、義経は美しいお稚児さんのような姿で顕われたりもする。プラスとマイナス、あるいは荒々しい性格と賑々しい性格、言ってみれば弁慶と義経は一心同体で、1人の人物の裏と表の顔みたいな形で描かれるようになります。そういう物語が作られていくんですけれども、その中で、いろいろな物語の中で一番私がスケールの大きな、そして義経が北の方へ北の方へと逃げていったんだ、あるいは生存してというもとになったような話の一つとして、この「御曹子島渡り」というの物語があります。
 『御伽草子』は、酒呑童子とか一寸法師とか浦島太郎の話とか、そういう御伽噺を集めたもので、江戸時代には印刷された絵も出ています。そのなかに「御曹子島渡り」というお話もあるんですね。義経が蝦夷あるいは千島、さらにはその向こう側まで行ったという物語の、おそらくは一番最初の基になっているのはこの「御曹子島渡り」ではないかと私は考えます。こんな非常にスケールの大きなファンタジーが中世に作られていたんですね。
 あらすじは、秀衡のもとにいた義経が、平家を倒すためにこれらか都に上るといったときに、いや待ちなさいと、平家を倒すためには単に武芸だけが秀でても、それでは不十分だと、もっと違う力を手に入れなさいと。千島の都に喜見城という鬼の都があると、その王は「かねひら大王」というんだけれども、その大王は兵法の巻物を実は隠し持っていると。それは「大日の法」、つまり大日如来の法で、言わば密教系の巻物だと、マジカルな力を持っていると。これが「虎の巻」という言葉で、人びとの中に定着していくもののルーツなんですけれども、それを手に入れて、それで両方、武術とその巻物のマジカルな力を持っていれば百万力というんでしょうか。とにかく行っていらっしゃいというふうにアドバイスをいたします。義経は、そこでわずかな手勢を引き連れて、まだ弁慶なんていう名前がないんですけれども、引き連れてその島に出かけていって、それで巻物を手に入れてまいります。私はこの「御曹子島渡り」を見たときに、何かガリバー旅行記みたいな、ものすごいスケールなんですね。
 このように、義経は秀衡にアドバイスをもらって出かけていきます。土佐の港から蝦夷の地にわたっていく途中、初めにまず「馬人島」に辿り着いた。そこには、馬の顔をした人間がいたと。ここでいろいろしばし休憩して、さらにまた別の島に行くと。
 次にたどり着いたのは、「はだか島」という、みんなそこに住んでいる人は裸であるというふうに描かれております。みんな裸なんですね。
 今度は女ばっかりの島にたどり着く。男がいないんですけれども、この島の女の人は何かお祈りをしてお腹に風を当てると妊娠するんだと説明します。
 次は、「小さ子島と」いう小人が住んでいる島に辿り着く。このように、描かれているのは非常にファンタスティックな、我々から見ればお伽話みたいな形のものでありますけれども、そういう島を通って出かけていったと。
 ようやく蝦夷が島に至ると、そこには武装した者どもがいて、義経を見つけて殺そうとする。しかし、義経は懐から自分が持っている笛を吹いて、その者たちを非常に和ませると。大変興味深いのは、牛若丸の伝説は、牛若丸が、史実ではどうだったんですかね、笛の名人だったかどうかはちょっとわからないんですけれども、牛若丸というのは笛で荒々しいものを鎮めていくと。口笛を吹くと蛇が出てくるというような言い方もありますけれども、何か笛というのはそういうマジカルな力を持っているんですけれども、その笛の力で和ませる。
 さらに、そこを通り過ぎて進んでいくと。千島の都の、先ほども言った喜見城という鬼の大王の住む城にたどり着くと、門番がいると。門番は、鬼であります。ですから鬼ヶ城なんですね。それで、お前は何者かと問い質されるんですけれども、ここでもまた笛を吹くんですね。笛を吹くと鬼はおとなしくなって、ちゃんと王様に取り次いでやろうというふうに言います。何か笛というものの持っている力、牛若丸は五条の橋で笛を吹いていたという話の、延長上にあるんだろうと思うんですけれども、笛というのは、実は牛若丸は武芸に優れているというよりも笛に優れていて、笛で敵をなだめるというような、そういう面が残ってここによく表れていると思います。
 ついに八面大王とも呼ばれる鬼の「かねひら大王」と対面いたします。義経はここでもまた笛を吹くんですね。そうすると、鬼の大王は、お前はすばらしい男だ、しばし私のところに滞在しなさいと言って、義経の滞在を許します。何かことごとく笛を媒介に、操作することによってどんどん奥に入っていくわけです。
 しばらくお待ちなさいと言って、大王は鬼の姿で引きこもります。しばらくして再び出て来ると、大王は今度は鬼の姿ではなくて、人間の姿をしている。敵が来た時には鬼の姿でだけれども、実は敵ではなかったと、お客様だと思ったら、今度は人間の姿になってもう一度現れて、義経と対面いたします。その前でも、義経はまた笛ばっかり吹いているんですね。隣に、左手に美しい女の人がおります。これは「あさひ天女」、鬼の大王のお嬢様であります。大変に美しい女の人なんですね。
 この天女を義経は口説き落としまして、自分の言ってみれば夫婦の契りを交わして、実は私がここにやってきたのは、あなたのお父さんが密かに隠し持っている巻物が欲しいんだと言いますと、その天女はわかりましたと、ではお父さんに黙ってその巻物をお見せしましょうと。
 天女が持ってきた、見せてくれた巻物を義経がすらすらと写していく。写すと、写す元になった巻物から字がどんどん消えていくと、写してしまったら写されたもとの巻物は白紙になってしまう。それで、義経もこのままだったら、すぐ私が巻物を写したのを持ち帰ったら大変なことになるのではないかと、あなたも私と一緒に秀衡のもとに行きましょうと言うんですけれども、あさひ天女は、私はここに残りますと言って踏みとどまります。あさひ天女は、泣く泣く義経を送り出すと。
 気が付いた大王が追っ手をかけます。海をどんどんかけるんですけれども、いろいろお姫様から教えてもらった、鬼を追い払うさまざまな呪術を使って、義経はこの追っ手を逃れて無事に帰ってきます。
 無事に帰ってきて巻物を手に入れて、さあこれから都に出て行こうときに、夢枕にあさひ天女が立って、実は私はあなたが逃げ帰った後、お父さんに殺されてしまいましたと。どうか私のことを供養してくださいと、悼んで弔ってくださいと、夢枕に立つ。そこで、義経はこのあさひ天女を弔う行事を行ったというふうに描かれております。これで終わるんですね。
 これが「御曹子島渡り」なんですけれども、その当時この物語がどこで作られたのかというと、おそらくは京都あたりでしょう。場合によったら東北なんかの方をも回ってきたような人たちの知識も含めて、その当時の日本列島の言わば地理というようなものをある程度踏まえながら、そこに幻想的な物語を描いているんだろうと思われます。これをもとにして、北へ北へというふうな物語が、江戸時代なんかに随分語り出されたというふうに私は考えています。

豊かさをもたらすのは
<異界>とのコミュニケーション

[斎藤]
 義経が蝦夷地へ行って、北へ行って帰ってきたということによって、平家に立ち向かえる強さというのを身に付けるわけですよね。尋常ではない場所を通って、最も尋常ではないと思われる異界の鬼と出会って、その鬼の中から秘密のものを盗み取ってくるということによって強くなる。どうして<異>なるものと出会うと強くなるんでしょうか。
[小松]
 これは一寸法師なんかでもそうなんですけれども、鬼が打ち出の小槌を持っていますとか、大黒様も打ち出の小槌を持っていますと、振ればいつまでも富が出るような小槌を鬼が持っている。この言葉の伝承の背景には、おそらく自分たちが支配している世界とは違う国とのいろいろな形のコミュニケーションが、この国を豊かにするということなんだろうと思うんですね。
 例えば、京の都の人から見れば、近江の鈴鹿の向こう側は鬼の世界だとか、関東や奥州なんかは鬼の住んでいる世界だと見られていたけれども、一方ではそこに黄金があって、都があって、そこで広大な権力を持っている勢力が生まれては倒れ、また生まれては倒れしていると。おそらくはそういうような、北には都を潤すさまざまな富というのがあるんだと、実際にたくさんそういうものを手に入れていたんだと思うんですね。そのような何か北の持っている、実際に平泉なんかは豊かな黄金の国だったわけですから、そういうものがおそらくベースにあるんだろうと私は思うんですけれどね。

北方への扉は「とさ」湊

[斎藤]
 この物語の中で、義経は土佐の港から蝦夷が島へ渡ることになっています。御伽草子の中では、土佐、四国の土佐の文字を充てているんですけれども、十三湊、あれも「とさ」とその時代は発音していたので、実際には十三湊から蝦夷が島へ渡るんだというふうに考えた方が自然なのかもしれません。物語の中では、蝦夷が島という豊かな異界と触れ合って、義経は富というか力というか、そういうものを得るわけですけれども、歴史的にも十三湊というのはそういう場所だったんでしょうか。
[入間田]
 今、小松先生からお話があったように、やっぱり十三湊という、有名な、あそこが北方からのいろいろな産物、金は奥州で取れましたけれども、都の方にはそのほかに鷲の羽といって都大路をパレードする一番かっこいい軍隊の兵士が身に付けている矢羽根になる。そういうものがありまして、その原料はやっぱり北の方から取れたり、当時の都でも貴族の間にヒョウ柄が流行っていて、アザラシの皮を馬の「したぐら」と言って、馬に乗るときのカーペットみたいなやつ、それが一番格好良かったんですけれどね。それが、やっぱり北からのもので、その北の物産というのは都の当時の貴族や天皇などにとっては一番ハイカラなブランドだったんです。それから、もう一つはさっきの「御曹子島渡り」で思ったんですけれども、鬼がはいているトラ柄のパンツとか、それから義経がつけている衣装の、あれもどうも動物の毛皮ではないかと思うんですけれども、ああいうものがもう海外ブランドなんです。だから、実は海外ブランドというのは、日本人が昔から今に至るまで憧れているものでして、それの一つの重要な供給地が北の方にあると。ただ、実は最近十三湊、青森県のあそこだけかと思っていたらば、そうではなくて、平泉に物を出し入れする石巻という北上川の河口、そこにも実は十三湊という港があったことがわかって、そうするとむしろ平泉とつながるので、でもどうしてそういう北の方の重要な港を十三湊と言うのかというのは、まだ謎が解けてはいないんですけれども、ですから十三湊はもしかすると青森県かもしれないし、あるいは北上川の河口の、平泉にとっての最も大切な港なのか、そこはいろいろ意見が分かれるんですけれども、どっちにしても海外ブランドというのは大事なんですね、現在に至るまで。やっぱりそういう歴史も読めてくるので、大変面白い。

富も力も<異界>から

[斎藤]
 奥州に一つの独立した権力があって、それが、どこにあったかは別にして、十三湊を通じて外の世界と交流することによって、豊かさがもたらされていたという歴史と、「御曹子島渡り」の義経が蝦夷地と交流することで強さを得るという物語に、何か共通した世界観というか、ここでもどこまでが物語で、どこまでが歴史なのかということが不分明なままに溶け合っいるように見えるんですが、ところでこの「御曹子島渡り」ですけれども、鬼一法眼から「虎の巻」を盗むという話に良く似ているような気がするんです。
[小松]
 『義経記』の中に、すでに今の話の基になったようなものが描かれているんですね。それは、義経が都で修行をしていたときに、鬼一法眼がやっぱり『六韜三略』という中国から伝来した兵法書を持っていて、それを手に入れないと完全な武将になれないと教えられて、これは都に住んでいる鬼一という法眼、お坊さんですね、法師陰陽師と言われる民間の、安倍晴明はあれは宮中で働く役人だったんですけれども、普通に民間で活用する陰陽師は大体お坊さんにの格好をしておりましたけれども、そういうお坊さんの頭領みたいなのが都に住んでいて、そこにその巻物があるので、それを手に入れなさいというようなアドバイスをもらうんですね。「御曹子島渡り」は、もう平泉に来てからの話だったですが、この話しは都にいたときです。そこで、義経は策を練って、同じように鬼一の娘のところに通っていって、それで兵法書を盗み出すという話がございます。ですから、舞台はもう都の中で完結しているんですけれども、今の話と基本的には構造的には似ている。
 これは陰陽師なんですね、陰陽師集団。でも、『義経記』に描かれているその当時、中世の陰陽師というのは、お寺で言えば僧兵みたいなんですね。六尺棒を持って、しかもつぶてを投げたり武術に非常に長けた、そういうお坊さんというんでしょうか、武装化した宗教者、それが巻物を持っていたと。その鬼一の娘婿は湛海という。『義経記』に描かれております湛海は、印地(礫投げ)の大将と言われていますので、おそらくその当時、都では半分ならず者、半分迷惑な存在だけども、お寺さんに雇われているやくざみたいな宗教者たちがいたんだと思うんですね。そういう人たちの間でまことしやかに、何か義経から学んだ兵法書があるとか、そういうようなものを背景にしながら、『義経記』の物語ができたんだろうと。だから、義経の物語を描いていく人たちの中には陰陽師がいて、義経を持ち上げ、英雄化していく。そういう物語を作る人たちがいたのではないかというふうに思います。

| 斎藤 博之 | [地域の社会史]義経北行伝説 | 20:05 | trackbacks(0) | comments(0) |
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